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師匠を称えて

Posted May. 13, 2022 09:03,   

Updated May. 13, 2022 09:03

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東坡が大陸の最南端の広東省恵州に追い出されたのは、宰相・章惇などの改革派との対立のためだった。あそこは高温多湿で、風土病が蔓延したため、命が危険になる恐れがある危険地域だった。しかし、東坡は平然自若に食事もよくし、普段慕っていた陶淵明の詩に応える作業に没頭する。このような師匠の詩と人柄を敬ったため、詩人は、東坡も陶淵明のように千古に長らく輝くと確信する。隠居か出仕かで二人の行跡は分かれたが、名利にとらわれない高潔な気品はそっくりだからだ。

詩題は、「陶淵明の詩に応えた蘇東坡の詩に送る文」という意味だ。陶淵明の詩に応えたとして、「和陶詩」と呼ばれるが、東坡はなんと109首も残した。その門下にいた黃庭堅は、東坡の死後、師匠に対する追悼の情を込めて「和陶詩」の最後にこの詩を付け加えた。詩というよりは、陶淵明に比べて師匠の高い品格を称えた追悼の言葉になるだろう。そのためか、詩は叙情的なつやを排除した代わりに、淡々とした叙述で一貫する。東坡は、恵州を経て海の向こうの海南島潭州まで押し出されたが、終始超然さを失わなかった。6年余りの奥地生活を終えてくる船路、「死の峠を越えた南方奥地の人生を恨まないから、この旅行が私の一生で最も素晴らしい経験だった」という詩句を残すほどだった。

成均館(ソンギュングァン)大学名誉教授