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食器洗浄機

Posted November. 10, 2021 08:10,   

Updated November. 10, 2021 08:10

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南アフリカ共和国のある修道女が、イエスを食器洗浄機に例えた。汚い食器をきれいに洗ってごみを外に排出する食器洗浄機。人々の苦痛と苦悩に対する方法について話した際に出た言葉だ。修道女は、「自身に来るものを吸収し、そのまま閉じ込めておかないで天の父に渡した」イエスを見習わなければならないと話した。

真実和解委員会委員長だったデズモンド・ツツ大司教は、修道女の話から教訓を得た。委員会の目的は、加害者と被害者の証言を聴取して真実を明らかにし、和解するためのものだった。ツツ大司教は、委員会関係者たちが辛い話を聴いて、それを心の中に閉じ込めておかずに出してこそ精神の健康を維持できると考えた。心理カウンセラーたちの考えも同じだった。

決して容易なことではなかった。彼らが聴く話は、聴くだけでトラウマになるほど強烈だった。拷問と殺害、暴力についての話は、人間の耳が耐えられる水準ではなかった。彼らは話を聴いて苦痛を代理体験した。そのため、委員会活動に参加した人々の一部は、結婚生活が破綻し、睡眠障害が生じ、気性が激しくなり、配偶者と喧嘩し、酒を飲んだ。取材記者も神経衰弱になり、速記士は証言を書き取って思わず泣いた。公式言語が11もあるため、被害者と加害者の証言を1人称で通訳しなければならない通訳者が最も辛かった。彼らは心理的に加害者にも被害者にもなった。

再現された暴力の効果は実に凄まじかった。証言を聴いて記録し、通訳し、報道するだけでも人々は傷ついた。心的外傷後ストレス障害に苦しむ人もいた。イエスと違って、彼らは汚いものを外に出す食器洗浄機にはなれず、吸い込んだものを袋に保管する一種の真空掃除機になった。軟弱な人間であるがゆえそうだった。それでも彼らの犠牲が、国家の傷を癒すうえで大きな力になった。

文学評論家・全北大学碩座教授