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もう一つの武器工場「飜沙廠」の跡地、ソウル都心で発掘

もう一つの武器工場「飜沙廠」の跡地、ソウル都心で発掘

Posted June. 12, 2015 07:23,   

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ソウル鍾路区三清路(チョンノグ・サムチョンロ)の韓国金融研修院の敷地には、中国式煉瓦造りの家が一軒ある。朝鮮時代末期に近代式武器を製作していた官庁・機器局の武器工場の飜沙廠(ポンサチャン)だ。1884年に建設されたここは、日本や欧米列強の圧迫が激しくなっていた当時、国の力を養うための先祖らの意志が盛り込まれている。1982年、ソウル有形文化財第51号に指定された。

この飜沙廠の「双子建物」の跡地が見つかった。飜沙廠の規模は、現在残っている規模より一際大きかったようだ。11日、ソウル市によると、研修院側が飜沙廠の隣に宿舎を建設するため、今年2月、埋蔵文化財について調査したところ、旧建物の跡地が見つかった。文化財庁やソウル市の専門家の調査を経て、現在の飜沙廠の関連建物と確認された。

今回発掘された建物の跡地の生石灰固めや址臺石の基礎築造方式が、現在の飜沙廠の建物と同じだった。推定される建物の大きさもまた、幅=10.1メートル、長さ=27.8メートルと、飜沙廠とほぼ同じだった。さらに、「日本帝国植民地時代の地形図」(1921年)や「総督府細菌検査室付属小動物増築工事の配置図」(1928年)など、過去の文書には、当時の飜沙廠の建物が「ㄱ」字の形で表示されている。現在の飜沙廠がその「ㄱ」字の一つの柱であり、建物の跡地がもう一つの柱となっている。ソウル市は今回見つかった建物の跡地を含め、関連文化財保護区域を先月29日に、245.4平方メートルから690.3平方メートルへと拡大して、指定告示した。

朝鮮時代末期の自主国防の意志を盛り込んだ飜沙廠は、日本植民地時代は細菌や動物実験室に使われたが、独立後は、中央防疫研究所として使われた。文化財指定後は、内部展示室を作って、一般に公開している。ソウル市文化財研究チームの関係者は、「新たな建物の跡地を原型通りに保存し、関連展示館を作って、外部に公開することを、研修院側と協議している」と話した。



hic@donga.com