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「親孝行の子なのに…」 罪悪感に苦しむセウォル号乗組員の親たち

「親孝行の子なのに…」 罪悪感に苦しむセウォル号乗組員の親たち

Posted May. 02, 2014 07:33,   

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旅客船セウォル号が沈没した当日の夜、母親は夢を見た。母親は茫々たる海で、波にもまれながらもがいていた。海水から出てこようと、もがいた。目が覚めたら、全羅南道(チョンラナムド)・珍島(チンド)体育館だった。「うちの息子、夢の中で一度でもいいから会えればいいのに、現れません。自分が水におぼれる夢ばかり見ていて…」

ファン・ジョンエ氏(55)の次男のアン・ヒョンヨン氏(28)は、外注会社所属の契約職の乗組員だった。12年、大学を卒業後、アルバイトの身分でセウォル号に乗り込んだ。サービスや乗客管理、行事、司会。雑役を一手にこなしたため、昨年8月、契約職となった。アルバイトの時と変わったことなどなかった。船に乗りながら、正社員就職を準備した。

セウォル号出発前日、息子から母親に電話がかかってきた。「お母さん、植木鉢一つ、僕の部屋においておくから、お母さんが育ててね」、「どんな植木鉢なの?」、「葉っぱが長くて鋭い」、「蘭のようだね」。葉っぱの間から花が顔をもたげていた。「お母さん、蘭も花が咲くの?」、「当たり前でしょう。綺麗な花が咲くわよ」。仲睦まじい会話がやり取りされた。植木鉢は、息子の最後のプレゼントとなった。植木鉢は、生徒らを助けようとして行方不明になったセウォル号事務長・ヤン・デホン氏(46)からもらったものだった。事務長は責任感の強いアン氏をかわいがった。アン氏は、軍服務時代、師団長表彰を受けるほど責任感が強かった。「事務長が植木鉢2個を買って、一つずつ分け持ったそうですね。自分たちがあの世に行くのが分かったからなんじゃないでしょうか」

セウォル号出航8時間前に、息子は再び電話をかけてきた。「済州(チェジュ)に到着すれば、返すから20万ウォンを貸してほしい」と言った。普段、金を貸してほしいと一度も頼んだことの無い息子だった。息子は、「ありがとう。明日返すから〜」と、携帯メールを送ってきた。母親は、「ありがたいなんて、うちは家族だから〜○○!がんばってね〜」と答えた。最後のメールだった。「あの世への路銭に使うつもりだったらしい。もっとあげればよかったのに」

第2子として娘がほしかった母親は、小さい時は一時、息子を娘のように育てた。「小さい時は、容姿がきれいだったから。私がピンクの肌着をはかせ、ピンも留めてあげたりしたんですよ。ここで息子を待っていると、何から何まで、生まれてきてオムツを取り替えたこと、偏食してしかりつけたこと、全てのことが思い浮かぶんですよ。私の目には今も赤ちゃんのようなのに…」

初日、氏も腹を立てた。海洋警察に泣きながら叫んだ。「潜水士を水に入れて、ハンマーで船を叩くように言いつけて、と求めました。その音を聞けば、子供らが希望を失わないから」

その次は、無くなった義理の母親や実家の母親を恨んだ。「もう二度と、お供えなんかしないからと。なぜ、こんなに早く孫を連れて行くことができるかと。どれほど腹を立てたか分かりません」

それからは、罪人のように過ごした。体育館に滞在しながら、思いっきり悲しむことすらできなかった。息子が乗組員だという罪悪感のためだった。その気持ちを手帳に打ち明けた。「息子を亡くした母親として、大声で、『うちの息子は、乗組員だが行方不明になりました!』ともいえず、うちの息子があまりにもかわいそうで…」

200体を超える遺体が見つかったが、息子はいなかった。沈没初日は、新品だった手帳が、いつの間にか日記、息子宛の手紙でぎっしり詰まれた。「海では私の言葉が聞こえないような気がして書いているわけですよ。うちの息子、容姿は綺麗だけで、勇気もあり、義理もあり、男らしかったですね。その子は、子供らを助けようとして、一緒に出てくることができなかったはずですよ。うちの息子は正直な子だったから」