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「海はとても寒いだろうに…生きているのだろうか」

「海はとても寒いだろうに…生きているのだろうか」

Posted April. 18, 2014 04:11,   

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朝から天気がぐずつき、小雨が降り出した。全羅南道(チョンラナムド)珍道(チンド)の海域で旅客船「セウォル号」が沈没して2日が経った17日、珍道郡の彭木(ペンモク)港。事故が起きた16日午後8時頃、彭木港に来た200人余りの行方不明者の家族は夜を徹した。

「お父さんが来たぞ、息子よ」、「ああ、ミンジ、お母さんがここまで来たよ」

家族は海に向かって震える声で子どもたちの名前を呼んだ。少しでも事故現場の近くに行こうとした。「うちの子があの冷たい海にいるのに、親が暖かくしていられるだろうか」と暖かい食事や飲み物を断る親もいた。

午前7時半頃、彭木港では行方不明者の家族約200人を乗せた船が、救助作業が行われている事故海域に出発した。場所がなく船に乗ることができなかった家族はやるせなさそうに離れていく船を見ていた。

日が昇ればすぐに救助の情報が聞けると期待した家族は、死亡者が増えたという知らせを受け、不安な表情を浮かべた。風雨と強い潮の流れで救助が中断したという知らせに、一部の家族は「船に酸素を入れてほしい」、「すぐに船とヘリコプターで救助しろ」と海洋警察に迫った。子どもたちの生存の可能性が、フェイスブックやツイッターなどソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)などに書き込まれる度に、行方不明者の家族の要求は強まった。確認されていない生存者名簿が彭木港に出回ると、一縷の望みを持っていた行方不明者家族は「ああ、私の娘、生きているんだね。お母さんが来たよ」と泣き声が聞こえた。

午後1時頃、行方不明者家族を乗せた船が戻ってくると、港の雰囲気は重くなった。2人の父兄が海に死体が浮んでいるのを見たと言い、その場に座り込んで泣いた。雨足が強まり、海辺に座っていた人々はテントに場所を移したが、港を離れる人はいなかった。行方不明のチョン・ハヨンさんの母親は、「最後に電話で話した娘の声が思い出される。何日経っても待ち続ける」と涙を流した。

行方不明者家族が集まっている珍道郡の室内体育館でも、家族の不安を募らせながら待ち続けた。午前6時頃、100人余りの行方不明者家族が彭木港に移動し、体育館はしばらく沈んだ雰囲気だった。しかし午前7時頃、海洋警察庁関係者が「午前5時40分から20分間隔で計4回入水したが船内の進入に失敗した」という捜索結果を発表すると、家族は「昨日から何も進んでいない」ともどかしい心情を吐露した。

対策本部が確認された死亡者の名前を呼ぶ度に、「あー」という悲鳴が聞こえた。息子の死亡の知らせを受けたパク・ヨンイン君(17)の母親はショックを受け、救急車で病院に運ばれた。

時間が経つにつれ、行方不明者の家族は気を取り直そうと努めた。警察と行方不明者の代表が対立すると、ある父兄は、「早く子どもを探さなければならない。争いはやめて対策を講じよう」と興奮する家族をなだめた。甥が行方不明のチさん(47)は、「甥の行方が分からない私やここにいる皆が愛する人を失った。力を合わせてほしい」と話した。