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破門後に静かになったマルティン・ルター、改革の刃を研ぐ

破門後に静かになったマルティン・ルター、改革の刃を研ぐ

Posted November. 26, 2016 09:02,   

Updated November. 26, 2016 09:21

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宗教改革500周年を来年に控えている。ドイツの平凡な修道士マルティン・ルターが免罪符の販売をはじめとするローマ・カトリック教会の腐敗に対抗して、1517年10月にヴィッテンベルク城教会の扉に「95ヵ条の論題」を打ち付けたのが宗教改革の始まりだった。

「ルターのパトモス島」は、ルターの劇的な改革の場面を見られない。このノンフィクションが扱う時期は、ルターがドイツのアイゼナハ付近のヴァルトブルク城に隠れていた1521年4月から1522年3月までだ。破門勅書を受け取ったルターがヴォルムス帝国議会で立場を明らかにした後だ。

タイトルの「パトモス島」は、使徒ヨハネがローマ皇帝の迫害によって島流しにされた所だ。ヨハネ黙示録が書かれた場所でもある。自分が潜伏したヴァルトブルク城を「私のパトモス島」と呼んだルターは、ここで自分が属する宗教の基本的な質問と向き合うことになる。宴を開いて華やかな教会を建てることに大金を使い、金で聖職を取引した時、ルターは信仰の根本に戻ろうとする。

著者は、この時期のルターが孤立と孤独に苦しみ、信念も揺らいだことをストレートに描いた。

この時期はルターの生涯で全く動きがなかったように見られるが、著者が見て最も創造的な時間だ。ルターは友人と手紙を交わし、宗教改革の方向について悩み、手紙や講演集、論文など様々な文を休むことなく書き、ドイツの民衆のために聖書を翻訳した。この大きな基盤と共にその後に繰り広げられる宗教改革は、危機に直面した韓国社会に変化と改革のメッセージを投じるという点で今でも意味がある。



金志映 kimjy@donga.com