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「禁断の地」松峴洞の敷地を100年ぶりに一般公開

「禁断の地」松峴洞の敷地を100年ぶりに一般公開

Posted October. 07, 2022 08:36,   

Updated October. 07, 2022 08:36

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日本による植民地時代を含め、100年以上「禁断の地」として残っていた景福宮(キョンボクグン)の隣のソウル鍾路区(チョンノグ)の「松峴洞(ソンヒョンドン)敷地」が、市民のもとに戻ってくる。ソウル市は2027年にここに建設される「李健熙(イ・ゴンヒ)寄贈館」の工事が始まる2025年の前まで、敷地を臨時に市民に開放し多様な市民参加型文化芸術空間として活用する予定だと、6日明らかにした。

市の関係者は、「7日午後5時半から、松峴洞敷地(3万7117平方メートル)を『憩いと文化のある開かれた松峴緑地広場』にし、2024年12月までの2年間、臨時開放する」と話した。公園の敷地面積は、ソウル広場(1万3207平方メートル)の約3倍に達する。

敷地を囲んでいた高さ4メートルの塀は、1.2メートルの石垣に下げ、外部からも緑地広場を見ることができるようにした。石垣の中に入ると、広場中央の芝生広場に造成されたコスモスやサルスベリなどの野生の花の群落地を楽しむことができる。

緑地広場を通じて、100年以上塞がれていた景福宮と北村(ブクチョン)の間が近道につながる。近道は、青瓦台(チョンワデ)と光化門(クァンファムン)広場、仁寺洞(インサドン)、北村の路地までつながる。

松峴洞の敷地は、日本による植民地時代は植民資本である朝鮮殖産銀行の社宅として、光復(クァンボク、日本植民地からの独立)後から1997年までは米軍と米大使館職員の宿舎として使われた。その後、三星(サムスン)生命と大韓(テハン)航空などが所有し、約20年間未開発地として放置された。最近、ソウル市と大韓航空、韓国土地住宅公社(LH)が3者売買交換の方法で敷地交換を進め、7月初めに所有権が大韓航空からLHに変更された。市の関係者は、「近いうちに、土地所有権がソウル市に渡される予定だ」と話した。

市は来年5~10月に、ここで「ソウル都市建築ビエンナーレ」を開催する予定だ。また、今年初めて開かれたアートフェア「フリーズソウル」を来年からここで開催する案も検討している。


サ・ジウォン記者 4g1@donga.com