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ロバを記憶せよ

Posted December. 09, 2020 08:49,   

Updated December. 09, 2020 08:49

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文学は時として社会的弱者に対する迫害の記録である。フランスのイソップと呼ばれるジャン・ド・ラ・フォンテーヌの「疫病にかかった動物たち」は、迫害の記録として遜色がない。特に、今のように手の施しようもなく病気が広がっている状況で発生する迫害の記録、あるいはアレゴリー。

動物たちが疫病のため死にかけている。彼らは、疫病は天罰だと考えている。もちろん、誤った解釈だが、これが誰かをいけにえにする。「動物たちの王様」であるライオンが会議を招集するのは、そのような理由からだ。ライオンは、群れの中で最も大きな罪を犯した動物をいけにえに捧げてこそ、疫病が収まると思い、自分から罪を告白するという。彼は、「何の罪もない羊を食べ、ひどい場合は羊飼いまで食べた」とし、「必要なら、自分がいけにえになる」と提案する。するとキツネは、王に過ちはなく、愚鈍な羊や動物の上に君臨しようとした生意気な羊飼いに過ちがあるとおべっかを言う。他の動物たちは拍手しながら、その言葉に同調する。虎、熊、イノシシ、キツネ、オオカミのような肉食動物たちも、そのようなやり方ですり抜けていく。

最後にロバの番だ。ロバは、とてもお腹がすいて修道院の草むらに入って草を食べたことがあると告白する。するとオオカミがかっとなる。「何だって?人の草を食ったって?」。オオカミは、ロバが神聖な私有財産を侵害する最大の罪を犯したと言う。他の動物たちもその意見に同調する。そのようにロバはいけにえになる。彼らの偽善と自己欺瞞がロバをいけにえにしたのだ。

ストーリーはこのように締めくくられる。「あなたが強いか弱いかにより、法廷はあなたを無罪または有罪と判決するだろう」。寓話があまりにも冷笑的に社会を描写するようだが、人間の歴史は強者が力のない社会的弱者をいけにえにした集団的暴力からあまり自由ではない。文学は時にそのロバ、そのいけにえを思い出し哀悼し、フランスの学者ルネ・ジラールが語った「迫害のテキスト」を買って出る。