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戦闘的民族

Posted November. 03, 2020 08:59,   

Updated November. 03, 2020 08:59

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南スーダンのヌビア人、ネパールのグルカ族、トルコのクルド人、中東のベドウィン族…。世の中には、生まれつきの勇猛さと戦闘的気質で有名になった民族がいる。

このような民族の歴史を調査すると、彼らの生活の中に溶け込んでいる戦争の歴史があまりにも長いことを発見して驚くことがままある。ヌビア人は、古代エジプト時代から侵攻を受けた。クルド人の話は、聞くたびに胸が痛くなる。強靭な闘志と戦闘力、団結力にもかかわらず、過去数十年間、周りの大国に巻き込まれて戦い、利用されては裏切られる歴史を繰り返している。最近もクルドは、ISとの戦争で勇猛をふるったが、戦争が終わってすぐに再び運命の二の舞を演じている。

クルド人のこのような運命は、紀元前11世紀にさかのぼる。中東地域で最初の帝国と呼ばれるアッシリアが初めて征服戦争を始めたとき、君主だったティグラト・ピレセル1世が初めて侵攻した地域がクルド人の土地だった。この時も、アッシリアが単独でクルディスタンを侵攻したわけではなかった。北北西のアナトリア地方で征服軍が発進し、彼らとアッシリアが衝突して、クルド人の地まで戦争に巻き込まれたのだ。記録がないからとは言うものの、その前も平和には暮らせられなかったのだろう。

ここまで来たら、彼らは本当に戦闘的な民族として生まれたのか、地政学的環境がそうさせたのか疑問が生じる。私は後者だと思う立場だ。しかし、先天的であれ後天的であれ、彼らは数千年間の運命、現在も終わらない苦痛に自分を呪いながら諦めなかったので、今でも苦難の中で戦っているのだ。

人間は社会的動物だ。人間は一人では生きていけないと言う。これは祝福でもあり呪いでもある。すべての社会は、内的対立と外的侵略の危険の中で生きていく。その割合は、地政学的条件によって異なるが、対応方法は同じだ。どちらかの一つでもあきらめてはいけないし、背を向けてもいけない。そのためには戦う方法と共存する方法も学ぶ必要がある。どちらか一つでも否定したり、あきらめたりしてはならない。