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夢がなかった少年が「韓国のフェルプス」になる

夢がなかった少年が「韓国のフェルプス」になる

Posted September. 10, 2016 07:10,   

Updated September. 10, 2016 07:57

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リオデジャネイロパラリンピックに出場している韓国代表チームが、大会初日の競泳だけで、チョ・ギソン(21)やイ・イングク(21)が金メダル2個を獲得した。チョ・ギソンは9日、男子自由形100メートルS4等級で、1分23秒36の記録で優勝し、パラリンピック自由形で金メダルを獲得した初の韓国選手となった。

「正直に言って夢などありませんでした。人々の視線もそうだったし、障害者として生きるのが怖かったのです。今は大丈夫ですね。このように自由形初の金メダルを獲得しましたから」(チョ・ギソン)

先天性脳病変障害者であるチョ・ギソンは、小学校3年の時、衝撃的出来事を経験した。隣の机に座ることになった友達が、怖いと泣き出しながら担任に席を変えてほしいと要求したのだ。小さなチョ・ギソンにとって、世間は一緒に暮らすところではなかった。チョ・ギソンは、「歩くことに役立つだろう」と勧められて、2008年、水泳を始めた。母親は息子が歩くことを切に願いながら、一緒にプールに通ったが、チョ・ギソンは今も歩くことができない。しかし、両腕だけで水の中では誰よりも早い男になった。

2009年、経験を積むために出場した水原(スウォン)市長杯50メートルで3位につき、選手としての道に入った。チョ・ギソンは、2014年、仁川(インチョン)障害者アジア大会自由形200メートルで金メダルを獲得して、その名が広まり、昨年、英グラスゴー世界選手権大会の100メートルと200メートルで2冠王になり、周りを驚かせた。表彰式が終わった後、金メダルを高く掲げた彼は、「私の努力は、このメダルにおいては爪ぐらいにもならないだろう」と言い、「苦労した両親、小さい時から母親の関心を奪われた姉、代表チームの先生たちやトレーナーの方々、そしてアイドルであるロンドンパラリンピック金メダリストの(イム)ウグンさん、これらの方々がこの金メダルを作った」と話した。

同日、男子100メートル背泳ぎS14等級で、59秒82の大会新記録で優勝した自閉性障害者であるイ・イングクは、4年前のロンドンパラリンピックで大変戸惑ったことがある。最年少として参加し、予選をトップで通ったが、決選には出られなかったのだ。試合開始20分前までに指定の場所に到着しなければならなかったが、3分遅れたためだ。父親のイ・ギョンレ氏(52)は、「胸が痛んだが、メダルは重要なことではなかった。水を怖がっていたイングクがそこまでできたことが誇らしかった。先生(監督)に対しても、『頑張ろうとしてミスをしたのだから、あまり悲しまずに頑張ってほしい』と声をかけた」と話した。イ・イングクは6歳になっても話すことができなかった。父親は、「家族の中に口で話すのが遅かった人がいたので、時間が経つと大丈夫だろうと思ったが、小学校に入学してもよくならなかった。長孫が障害者であることを認めなければならず、両親にも申し訳なかった。それでも自分の子供だったので、諦めるわけにはいかなかった。できる限りのことをしようと努力したが、このように金メダルまで手にし、嬉しく思う」と話した。

チョ・ギソンとイ・イングクの金メダル獲得のニュースを誰よりも喜んだ人がもう一人いる。ロンドンパラリンピック代表チームの監督を務めたチョ・スンヨン氏(41)だ。当時、とめどなく涙を流しながら教え子の失格を悲しんでいたチョ氏は、そのことで代表チームから降ろされ、今は私設水泳プールで水泳を教えている。チョ・ギソンが泳ぐのがつらくて、あきらめようとしたとき、「最後までやってみよう」と手を差し伸べ、仁川アジア大会で金メダルを抱かせた指導者が、ほかならぬチョ監督だ。

チョ・ギソンは金メダルを獲得後、「本当にありがたい方だ」と話した。チョ・ギソンとイ・イングクは今も、チョ監督から個人講習を受けている。韓国で夜明けまで起きていて、教え子たちのレースを見守ったチョ監督は、「あまりにも優秀な選手たちであり、今の代表チームの指導者の方々がうまく教えてくださったおかげだ。本当に誇らしい。イングクが金メダルを取ったので、少しは気持ちが軽くなった。大ミスを犯した私を理解してくださったご両親にも感謝したい」と話した。



리우데자네이루=이승건기자 リオデジャネイロ=イ・スンゴン記者 why@donga.com