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現代でも愛されるチャイコフスキーの和音

現代でも愛されるチャイコフスキーの和音

Posted December. 02, 2014 08:09,   

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学生時代、生まれて初めてギターを買った後輩は、意気揚々としていた。サークルの部屋で簡単なコードで歌を歌い始めた。「君の〜沈黙に〜乾いた〜私の唇〜」

うまいなと私が言うと、「徹夜で練習しました」と言った。C−Am−Dm−G。4つのコードだけで弾くことができ、初心者から好まれる歌だった。

「歌わずにギターだけ弾いてみて」。「どうして?、私の歌が下手だから?」。同じコードの伴奏に合わせて私が別の歌を歌った。「落ちる〜落葉、その間に…」。後輩が目をまるくした。「ワー、和音がぴったりだ。不思議」

和音が続く「コード進行」、または和音進行には、作曲家も聞き手も好む「慣れ親しんだ」方式がある。ドミソ−ラドミ−レファラ−ソシレ。和声学の記号では、I−貓−ii−V。映画「ビッグ」で、トム・ハンクスが足でピアノの鍵盤を弾く「ハート・アンド・ソウル」も、このコード進行の反復で馴染みの音楽だ。

なぜこのような和音進行が特に好まれるのか。インターネットで検索してみた。思ったより多くの情報がヒットした。インターネット百科事典には項目もあった。「20世紀の大衆音楽で、特に好まれる和音進行」とある。

私がなぜこのことを思い出したのだろうか。年末になると、全国各地でチャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」の公演がある。誰もが慣れ親しんだ「花のワルツ」が終わると、静かになった舞台に穏やかなハープの和音が流れる。例のI−貓−ii−V進行だ。バレエのハイライト「グラン・パ・ド・ドゥ」だ。涙が出るほど美しい。

ロマン主義後半期に活躍したチャイコフスキーの時代は、この和音進行はあまり使われなかった。言わば、当時としては「先進的なコード」だった。主に古典ロマン時代の音楽を聞く私が、なぜこの和音をこのように心地よく感じるのだろうか。20世紀の大衆音楽の記号にすでに慣れ親しんでいるためか。チャイコフスキーには、後代の人々が気楽に感じるコードを見据える目があったのかも知れない。