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すまない、娘よ

Posted July. 21, 2021 08:12,   

Updated July. 21, 2021 08:12

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母親は、娘が抱いてもらおうと近づくと体が固まった。娘は母親が自分を愛していないと思った。歳月が流れ、その娘が結婚し、娘を産んだ。彼女は自分の娘に同じようにした。娘が抱いてもらおうと近づくと、我知らず体が固まった。そして、罵って殴り、娘を厳しく育てた。とても悲しい継承だった。

 

カナダ原住民作家ヴェラ・マニュエルの戯曲『インディアン女性たちの強靭さ』に出てくる話だ。母親がそうなったのは、インディアン寄宿学校でのトラウマのためだった。彼女は15万人のインディアンの子どもたちのように強制的に寄宿学校に入った。学校というよりも、子どもたちに英語とキリスト教、西洋文化を強要してインディアン的なものを取り払い、欧州人に改造するための収容所だった。学校は人種浄化の道具だった。子どもたちは精神的、身体的、性的な暴力と病気に苦しんだ。子どもたちが死んでも学校は親に遺体を渡すこともせず、そのまま埋めた。世の中を震撼させている、インディアン寄宿学校の敷地で発見された1千人以上の子どもの遺骨がその証拠だ。

戯曲の中の母親が娘を遠ざけたのは、暴力の後遺症のためだった。彼女が神父や修道女、教師たちから受けた暴力は、人との関係を破局へと追いやった。娘との関係も例外でなかった。彼女は愛を表現する術を知らなかった。娘が近づけば追い払った。時には罵って殴った。実際に愛しながらもそうした。娘が寄宿学校について尋ねると、いいところだったと話した。

悲しみで満たされたこの戯曲で最も悲しい場面は、「私はお前を愛している」という母親の言葉に娘が「いや、そうじゃない」と言うところで、最も美しい場面は、母親が娘に許しを請い、もう体は固まらないと言い、娘は母親に「ごめん」と謝るところだ。国家と宗教が合作した寄宿学校によって満身瘡痍になっても、母親と娘は愛で克服した。

文学評論家・全北大学碩座教授