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弾劾危機の朝鮮使臣たちを救った「熱河日記」

弾劾危機の朝鮮使臣たちを救った「熱河日記」

Posted April. 03, 2021 08:03,   

Updated April. 03, 2021 08:03

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ドラマ「朝鮮駆魔師」の出来事から見るように、韓中関係に対する大衆の厳しい視線は覇権性にある。G2に浮上後、米国と激しく対立する中国の「力の外交」で、韓国人は帝国主義時代の搾取と抑圧の記憶を蘇らせている。社会主義の中国だけでなく、封建主義の清も、映画「南漢山城」(2017年)などで見るように、丙子胡乱の際に仁祖が額から血を流して行った三拝九叩頭礼(清皇帝の拝謁時に額が地に届きそうに3回お辞儀すること)の屈辱と記憶されている。

この本は、小中華思想に基づき、18世紀に東アジア最強国の清を白眼視していた朝鮮が突然態度を変え、1780年に乾隆帝の70歳の祝賀使節を送った事件に注目している。特に乾隆帝の命により、朴明源(パク・ミョンウォン)などの朝鮮の使臣たちがチベットの高僧パンチェン・ラマに接見した出来事にまつわる秘話を追っている。その年、特使団は清皇帝の夏の別荘がある熱河でパンチェン・ラマに会い、仏像をプレゼントされた。今から見ればなんでもないことだろうが、当時はそうではなかった。崇有億仏を信奉していた朝鮮の士大夫たちに、蛮族が与えた仏像は「汚くて邪悪なもの」と見なされた。それでも、皇帝が丁寧に尊敬する高僧の贈り物を勝手に捨てるわけにもいかなかった。

著者はこれと関連して、朴趾源(パク・ジウォン)の「熱河日記」が危機に陥った特使団に強力なアリバイを提供したという。仏像を持ち、鴨緑江(アプロクカン)を越えた特使団が政治・思想的弾劾を避けられるように記録した面があるということだ。例えば、朴趾源は、特使団長ともいえる朴明源がパンチェン・ラマと会った直後、清の要求にもかかわらず最後まで拝まなかったことを熱河日記で強調した。これは清の礼部が朝鮮に送った文書の一部の内容(「朝鮮の使臣たちは、パンチェン・ラマに拝み、聖なる僧侶を仰ぎ見して祝福の恩恵に浸ることができた」)に真っ向から反論したものだった。著者は「熱河日記で、パンチェン関連部分は、思いがけない奉仏の疑いで非難の対象となった朴明源一行の弁護のために、朴趾源が考案した周到な構成の産物だ」と書いた。


金相雲 sukim@donga.com