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金弘道の晩年の力作「三公不換圖」が宝物になる

金弘道の晩年の力作「三公不換圖」が宝物になる

Posted July. 25, 2018 07:54,   

Updated July. 25, 2018 07:54

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檀園・金弘道(キム・ホンド、1745~1806?)が純祖(スンジョ)の天然痘からの全快を記念して、1801年(純祖1年)に描いた「三公不換圖」が、国の指定文化財宝物に指定予告されたと、文化財庁が24日明らかにした。

三星(サムスン)文化財団が所蔵した「三公不換圖」は、高い官職とも変えないほどの田舎生活の楽しさを描いた8枚の屏風絵だ。川を前にして山の麓に位置する瓦の家と田畑、客をもてなす主、お使いをする女性、働く農民、釣り人などがバランスよく描かれている。文化財庁は、「素朴で飾りっ気のない人物たちの姿と実物をそのまま描いたような画風が目立つ」とし、「金弘道の晩年の創作活動を代表する作品だ」と説明した。

「三公不換圖」は、当時、金弘道の絵で作られた屏風4点の一つだ。絵の上に書かれた洪儀泳(ホン・ウイヨン、1750~1815)の跋文には、金弘道が「神禹治水圖」2点、「花卉翎毛圖」1点も描いたと書かれているが、今はその所在が分からない。

文化財庁はこれと共に、朝鮮時代の仏像2点と金属活字の印刷物「資治通鑑の巻129~132」も宝物に指定予告した。1665年に熙壯(ヒジャン)などの僧侶彫刻家9人が一緒に作った珍島双渓寺(チンド・サンゲサ)にある木造釋迦如來三尊坐像、17世紀の仏教彫刻士を代表する僧侶玄眞(ヒョン人)の作品である大邱桐華寺(トンファサ)の木造阿弥陀如来三尊像が含まれた。資治通鑑は1436年、鑄字所で出版された版本で、朝鮮前期の印刷術を理解する上で重要な手がかりを提供すると、文化財庁は説明した。

文化財庁は30日間、各界の意見を収拾して、文化財委員会の審議を経た後、宝物で最終指定する。


趙鍾燁 jjj@donga.com