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タリバン、最高指導者「オマル師の伝記」を公表

タリバン、最高指導者「オマル師の伝記」を公表

Posted April. 07, 2015 06:54,   

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「やさしく、ユーモアのセンスがあり、自分が仲間よりも優れていると思わない人。怒ったり落ち込んだりしない人。住居や銀行口座は所有したことがない人…」

果たしてこんな人がどこいるのかと思うだろうが、アフガニスタンのタリバンが5日、ウェブサイトに公表した伝記で、最高指導者オマル師をこのような人物だと主張した。

2001年、米軍のアフガン侵攻後、姿を現わさず、「隠遁の指導者」と呼ばれるオマル師。米軍が1000万ドルの懸賞金をかけて追跡したが、身柄の確保に失敗した。これまで「死亡説」や「失踪説」が相次ぎ、生死が確認されていないオマル師が、潜伏14年ぶりに5000字もの量の伝記を通じて、自分をめぐる秘密の一部を公表した。

伝記を公表した対外的な理由は、最高指導者就任19年を記念するためだ。旧ソ連がアフガンを侵攻した時、ムジャーヒディーンとして戦ったオマル師は、1996年、タリバンを率いて首都カブールを占領し、アフガニスタン・イスラム国を建てた。国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンを支援したオマル師は、9・11テロ後、米国のビン・ラディン身柄引渡し要求を拒否した。そのため2001年に米軍の侵攻を受けて政権が崩壊し、オマル師は逃亡者の身となった。オマル師はこれまで、パキスタン国境地帯などに身を隠してタリバンを指揮してきたとされる。

しかし、最高指導者就任19年は大義名分にすぎず、思惑は別にあるという分析が説得力を持っている。最近、勢力を拡大しているイスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」が、アフガンに影響力を拡大しており、これを阻止するためにヴェールに包まれた「隠遁の指導者」の生活の一部を公表したということだ。伝記は、オマル師が、△異教徒の侵略者などに対抗するジハード活動に関わり、△アフガンだけでなく世界で起きているその日その日の(day-to-day)事を把握し、△敵に追われているが日常には何の変更も乱れもない、と明らかにした。タリバン専門家のアフメド・サイディ氏は、「オマル師の伝記公表は、『イスラム国』の影響力を弱めるという戦略的な意図が隠されている」と指摘した。

一方、タリバンが公表した伝記によって、タリバン研究者の間で意見が分かれていたオマル師の出自の疑問が解消された。

伝記によると、オマル師は1960年にアフガン南部カンダハル州のある村で生まれた。父親はオマル師が5歳の時に死亡した。オマル師が片目を失明したのは、1983〜91年の旧ソ連軍との戦闘中に右目に破片が入り、自ら眼球を取り出してまぶたを縫ったためだと、伝記は明らかにした。また伝記は、対戦車ロケット砲のRPG7がオマル師が最も好きな武器だと伝えた。



aimhigh@donga.com