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ジョブス氏と三星、3代にわたる愛憎の30年 協力者からライバルへ

ジョブス氏と三星、3代にわたる愛憎の30年 協力者からライバルへ

Posted October. 07, 2011 03:06,   

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世界の随所で特許戦争を繰り広げているアップルと三星(サムスン)は、長い間協力と競争の縁を結んできた。特に、両社の最高経営者の縁はずいぶん深い。故李秉迵(イ・ビョンチョル)前三星会長、李健煕(イ・ゴンヒ)三星電子会長、李在鎔(イ・ジェヨン)三星電子社長に至る三星3代は、30年前からスティーブ・ジョブス氏と遭遇し、時には助言を交わし、特には談判してきた。

ジョブス氏が三星一家と初めて顔を合わせたのは、1983年11月、ソウル中区太平路(チュング・テピョンロ)の三星本館にある李会長の湖岩(ホアム)執務室だった。当時三星は苦心の末半導体事業を拡大することにし、京畿道龍仁市器興(キョンギド・ヨンインシ・ギフン)に天文学的なお金をかけて半導体工場を建てている状況だった。世界の電子業界を注視していた70代の李元会長は、20代の若者と向き合った。パーソナルコンピューターを発明して名声を得始めた28歳のジョブス氏だった。ジョブス氏は李元会長に発売予定だったマッキントッシュコンピューターの仕様を自信に満ちて説明したという。

李元会長は当時居合わせた役員に、「これからIBMと太刀打ちできる人物」とジョブス氏を評価したという。李元会長は、ジョブス氏に「今やっている事業が人類に役立つか確認し、人材を重視し、他の会社の共存共栄の関係を重視することを3大経営哲学にするのがいい」と助言した。

あれからあまり時間が経っていない1985年、ジョブス氏はマッキントッシュの失敗で自分が創業したアップルから退出された。しかし、李元会長の人を見る目に狂いはなかった。1997年アップルに復帰したジョブス氏は、「魂を魅了させる電子機器」を披露し、李元会長の予言通りIBMと肩を並ぶ大物になった。

アップルが三星電子の主要部品の購入先になってから、李健煕会長はジョブス氏と数回単独で会ったとされているが、詳しい内容は公開されていない。2人は天才級の人材を喉から手が出るほどほしがっている点や、映画をはじめ文化にはまっている点など、共通点が多かった。

三星3代の中でジョブス氏と最も多く顔を合わせた最高経営者は李在鎔社長だ。李社長は米国のアップル本社を訪問したり、情報技術(IT)国際展示会や最高経営者(CEO)コンファレンスなどを通じて、1年に1度や2度ずつジョブス氏と会って協力問題を話し合った。アイホン発売を控え、ジョブス氏が直接試作品を分解しながら、説明したという話も伝えられる。30年前、「祖父(李秉迵元会長)」に原始的レベルのコンピューターを説明していた20代の青年が彼の「孫息子(李在鎔社長)」に先端のスマートホンを説明するぐらい、技術を発展させてきたのだ。

ジョブスと三星3代の縁が続けられる間、アップルは三星の最大のお客さんになった。業界ではアップルが今年三星電子から78億ドル(約9兆2000億ウォン)相当の部品を買い入れて、60億ドル前後のソニーを抜くと見ている。

しかし、今年4月、アップルが三星電子を相手にスマートホン特許侵害で訴訟を提起したことで、両社の協力関係は危機に直面した。3月、アップルがアイパッド2を市販した時、ジョブス氏は三星を「コピーキャット」と侮辱した。李会長は4月21日、いわゆる「三星特検」以後、三星電子瑞草(ソチョ)社屋へ初出社した時、「釘が出たら、打とうとする原理だ。技術は先に進んでいる方で与えたりもして、追いかけていく方が受けたりもするものなのに…」とアップルに対する残念な気持ちを隠さなかった。

ジョブス氏の死去は両社の訴訟戦にどのような影響を与えるか。三星側は、早速訴訟を取り下げるといった変化はないとし、葬式が終わるまではどのようなコメントも行わないとの姿勢を示した。ジョブスの死去に対し、三星は崔志成(チェ・ジソン)三星電子副会長名義の弔意だけを出した。崔副会長は、「普段尊敬していたスティーブ・ジョブス氏の死去に深い哀悼の意を示す。故人は世界のIT産業にビジョンを提示し、革新をけん引した天才的企業家だった」と話した。



foryou@donga.com jaeyuna@donga.com