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「死にたくない」 絶叫も水の泡

Posted June. 23, 2004 22:50,   

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イラクからロンドンを経由して韓国に帰る最も安い航空便を探していた金鮮一(キム・ソンイル、34)さん。金さんは昨年6月15日に、イラク駐留米軍に食材を供給する軍納会社カナ貿易のアラビア語通訳職員としてイラクで生活を始めた。

金さんは、4月30日に家族に電話をかけて、「契約が終わる6月末か7月初めに帰る」と言っていた。最後の電話だった。5月20日には、ロンドンに住む友人に電子メールを送って、「6月末にヨルダンに立ち寄った後、ロンドン経由で韓国に帰る」と話していた。

▲行方不明の約20日間〓金さんの行方が分からなくなったのは、先月31日。カナ貿易の職員が、その前日まで金さんを目撃していた。したがって、金さんが「タウヒード・ワ・ジハード(統一と聖戦)団」というイラク武装グループに拉致された時点は、早くても先月31日となる。

金さんが拉致された時点は、カナ貿易のキム・チョンホ社長の一定しない発言のため、明らかではなかった。金社長は当初、「金さんは6月17日に、米軍需会社ハリーバートン社の子会社であるケロッグ・ブラウン・アンドルート(KBR)の職員とともに、バグダッドから西方に200km離れたリブジ・キャンプに立ち寄って仕事を終えた後、バグダッドに戻る途中、拉致された」と話していたが、23日には、「6月10日頃に金さんの拉致事実が分かった」と覆した。

金社長は、金さんの拉致事実をイラク韓国大使館に知らせず、直接モスルなどに行って、イラク武装グループと金さんの解放交渉を非公開で試みていた。金さんの拉致事実は、21日午前、カタールの衛星テレビ局アルジャジーラが、拉致グループの脅迫ビデオを報道して、公開された。これまで金さんは、いつ訪れるかしれない死への恐怖で、気の休まる時がなかった。

▲「死にたくない」〓21日午前4時、アルジャジーラ・テレビによって放映された画面で、金さんは死ぬかも知れないという不安に包まれ、「私は死にたくない。私の命は重要だ」と泣き叫んだ。誘拐犯たちは、韓国軍の撤収と韓国軍の追加派兵の撤回を主張して、日暮れまでの24時間の交渉期限(22日午前4時)を提示した。

しかし金さんの拉致の知らせと武装グループの解放の要求条件に接した政府は、21日午前10時、国家安全保障会議(NSC)を開いて、「派兵の原則には変わりがない」ことを明らかにした。金さんに死の影が垂れ始めたのだ。拉致グループが、実現の可能性がない条件を掲げたのは、事実上、金さんに対する「処刑」を念頭に置いていたように見える。

▼希望の後に絶望〓にもかかわらず、一筋の希望は見えた。殺害期限の22日午前4時まで、政府と民間がいくつかのチャンネルを通じて、金さん解放の努力を傾け、22日午後6時頃、アル・アラビア・テレビが、「武装グループが交渉期限を延期することにした」と報道したためだ。

イラクの政界などに人脈を持つ国内警護会社NKTSなどの民間レベルの努力も行われた。

しかし武装グループは、22日午前、韓国政府が派兵意思を曲げないことを確認した後、直ちに金さんを処刑したようだ。金さんの最後の姿は、23日午前1時40分、アルジャジーラ・テレビによって公開された。そして金さんの遺体は、22日午後10時20分頃、首が切断された状態で、米軍によって発見された。さらに拉致グループは、遺体に触れれば爆発する仕掛け爆弾まで取り付け、最後まで残酷な行為を行った。



李浩甲  gdt@donga.com