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違いを誤りと見ないこと

Posted August. 29, 2022 09:05,   

Updated August. 29, 2022 09:05

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「私は音楽とは人間によって人間のために組織化された音だと記述した。組織化された相互作用の結果として生成された音の類型と人間の組織の類型との関係を探るべきだ。・・。もし彼らにそのような共感がなければ、彼らの音楽は存在しなかっただろう」(ジョン・ブラッキング『人間の音楽性』)

帝国主義時代の西欧の人類学者たちは、植民地を調査するために全世界に現地調査に行った。人類学者が少なくとも数年間、現地の言葉を学び、現地の人々と寝食を共にして調査した内容は帝国経営の素晴らしい資料として使われるはずだった。

帝国主義は、人類学者たちが持ってきた結果物を帝国(近代)文化の優秀性と植民地の原始性、野蛮性、後進性を明らかにする証拠にしようとした。しかし、全てでなくとも相当数の人類学者が持ってきた研究結果は、帝国主義の考えどおりのものではなかった。近代の優秀性ではなく他文化の合理性と効用性、さらには近代の価値と基準が普遍的なものではない可能性があるという意見を提示したからだ。

音楽人類学者のジョン・ブレッキングの『人間の音楽性』も同様の文脈で読むことができる。アフリカの様々な部族社会の音楽を研究したブラッキングは、当代の多くの人の考えに疑問を示した。他人と楽器の音を合わせることができる能力を備えてこそ大人になることができるアフリカのベンダ族の文化が、少数を除けば楽器一つ扱えない人がほとんどの英国ロンドンより音楽的により豊かな社会ではないかということだ。

ブロッキングは、ロンドンとベンダの人々が持つ世界観が異なり、したがって重要だと考えることが異なるなら、社会や文化の間で優劣を問うことはできないと主張する。ブラッキングの本を読んで、違いを誤りと見ずその相違を比較し、一つの価値に依存するのでないなら、新しい想像力を込めたコミュニケーションが可能になるのではないか希望を持つ。