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ゴッホの目

Posted January. 19, 2022 08:53,   

Updated January. 19, 2022 08:53

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苦しみながらも暖かく、暖かくても苦しい画家の目が感じられる絵がある。比較的あまり知られていないフィンセント・ファン・ゴッホの絵「悲しみ」がそうだ。単色のデッサンだから、なおさらそう感じるのかもしれない。

絵の中の女の人は、床にうずくまっている。何か悩みがあるのか、膝に腕をついて顔をうずめている。下っ腹が大きく出ていることから、近いうちに子どもが生まれる妊婦のようだ。右下にある「悲しみ」というタイトルがなくても、彼女が悲しみに沈んでいるのは確かだ。女はなぜ、そんなにみすぼらしい姿をしているのか。一部始終を知るためには、ゴッホの人生の中に入らなければならない。

ゴッホは29歳の時の1882年、ハーグで彼女に出会った。画家になることを決心してから、2年が過ぎた時だった。彼女は彼より3つ年上の貧しい売春婦だった。5歳の娘がおり、誰かの子を妊娠していた。だれかが助けてあげないと、耐えがたい状態だった。ゴッホは、町をさまよっていた彼女を、自分の家に連れて行った。そして、彼女と子供に居場所を与え、彼女は画家になろうとする彼のためのモデルになった。そうして誕生した絵が「悲しみ」だった。

画家は、彼女の姿を絵に収めながら、心を痛めた。彼は彼女を道徳的に非難しなかった。売春をして流産し、子どもを産み、もう一人の子どもを妊娠しているのは、貧困のためだった。そうだった。貧困が問題だった。彼は、目の前の彼女の体から、貧しさに人生を虜にしている女性たちの悲しい現実を見た。彼が見たのは、体の外観を超えた人生の本質であり、実存だった。自分の分身のような弟のレオ宛てに送った手紙で言ったように、彼は「人々の心に触れる」絵を描きたかった。彼は天才である前に、とても温かみのある人だった。後で危険な手術で子供を生んだ絵の中の女の面倒を見たのも、彼だった。この絵で、画家の苦しいながらも温かい目に注目しなければならない理由でもある。

文学評論家・全北(チョンブク)大学碩座教授