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100年ぶりに開放される海雲台長山頂上

100年ぶりに開放される海雲台長山頂上

Posted January. 03, 2022 09:18,   

Updated January. 03, 2022 09:18

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「50年以上、ここで農業を営みながら暮らしてきましたが、頂上は初めてですね。軍の保安施設だったんですよ」

1日午前7時、標高634メートルの釜山海雲台区(プサン・ヘウンデグ)の長山(チャンサン)頂上。チョン・ウヤンさん(85)は、標石の周辺を一周しながら感激したようにこのように話した。足元に広がる80階建てのマリンシティーが一望でき、遠くは日本対馬の尾根も鮮明に見えた。

チョンさんは標高550メートル地点に作られた長山村に住んでいる。政府の「長山開拓団事業」により1967年にここに移住した初期住民だ。チョンさんは林野を畑にして高冷地野菜を栽培しながら暮らしてきた。山頂は手を伸ばせば届くほど近かったが、自由に登れない禁断の領域だった。チョンさんは「初期の移住民は皆亡くなり、私一人だけが残った。もう少し早く開放されていたら一緒に良い風景が見れたたのに…」と残念がった。

長山の頂上は韓国戦争を経験しながら設置された軍の通信施設のため、70年近く出入りが制限されたと知られている。しかし、実際に規制された期間は100年以上だったという。海雲台文化院のチョン・ジンテク事務局長は、「植民地時代に国権を失った1910年から頂上は日本から朝鮮への無線を聴取する軍事施設が設置された。それ以前は、長山一帯が伐採を禁止する『封山』に指定されたため、出入りできなかった」と説明した。

「断絶された空間は市民のもとに戻そう」という議論が本格化したのは2011年、海雲台区住民団体と環境団体が市民運動を推進してからだ。昨年9月、長山が「海雲台区区立公園」に指定され、頂上を含む山全体の管理権が海雲台区に移され、頂上開放に弾みがついた。海雲台区は先月、軍と正常開放に関する協議を終えた。

壬寅年の初日に長山の頂上を踏んだ市民はチョン氏を含めて50人余り。海雲台区では初日の出イベントとともに「長山頂上開放式」を行った。防疫を考慮し、参加人数を制限した。「虎が降りてくる」など国楽公演が雰囲気を盛り上げた。東海(トンヘ)から赤い太陽が昇ると、参加者たちは嘆声を上げた。トンベク島など、海雲台区18ヵ所から汲んできた土を頂上にかけ、和合を祈ったりもした。海雲台区佑洞の住民の一人は「私が知る限りでは大韓民国の山々の中でここは頂上が塞がれた唯一の場所だった、未知の空間で新年を迎えるとは感慨深い」と興奮した声で話した。

長山の頂上は同日1日だけ臨時に開放され、常時開放は4月からだ。約1500m²の頂上部面積のうち、一般人が踏み出せるところは640m²程度。残りは軍と移動通信会社の通信施設があって接近禁止だ。

海雲台区は、5億ウォンを投じて軍施設が民間人の目に付かないように施設を建て、トイレや安全フェンスも設置する。ホン・スンホン海雲台区庁長は「韓国戦争時に建てられた米軍バンカー施設を取り壊さず、市民に開放することを悩んでいる」とし「三国時代以前からここにあったという『長山国』に対する史料ももっと発掘する」と述べた。


釜山=キム・ファヨン記者 run@donga.com