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人の通った足跡

Posted October. 30, 2021 08:20,   

Updated October. 30, 2021 08:20

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愛の詩で孤独は良くないものだ。愛が成就されるには、向かい合う2人がいなければならないから、一人でいる孤独が良いはずがない。孤独な恋人は、別れの前の恋人だ。一人でする愛は悲しい愛だ。

しかし、愛の詩を除けば事情は変わる。詩と孤独は昔から有名な相棒だった。シュタイガーという理論家のまとめによると、抒情詩はおおむね孤独の空間を扱っているという。一人で静かに座って、人生と世界について考える時間は確かに「詩的な時間」だ。これが5分でも与えられれば、少しは充電できる。人は肉体的エネルギーだけでは生きられない。

子供たちを学校に行かせた後、じっと座っている少しの間。早く到着したオフィスで、寝ぼけている自分だけの時間。仕事をしていて、ちょっと外に出て日光を眺めながらぼんやりしている時間。世の中と一緒にいても、こんな時は私だけが一人でいるようだ。そんなことを孤独と呼ぶ。

イ・キョンリム詩人の詩も、そのような時間から生まれた。人がみな通り過ぎてから残っている跡が音なのか形状なのかは、詩人だけが知ることだ。しかし、私たちにもこうした場面があったのではないか。孤独にぼうっとしていて、ふと気づいてしまうある場面だ。孤独は空っぽのようだが、実は空いていない。確かに何の意味もないようだが、心がいっぱいになる時間だ。