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「韓国戦争のイエス」軍宗神父、70年ぶりに家族のもとへ

「韓国戦争のイエス」軍宗神父、70年ぶりに家族のもとへ

Posted March. 08, 2021 08:14,   

Updated March. 08, 2021 08:14

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韓国戦争で、味方か敵かを問わず傷ついた兵士のために献身し、「韓国戦争のイエス」と呼ばれ、捕虜収容所で死亡した米国人軍宗神父エミール・カパウン氏(1916~51)の遺骨が約70年ぶりに確認された。

米紙ワシントン・ポストなどによると、米国防総省の戦争捕虜・行方不明者調査局(DPAA)は5日(現地時間)、歯の記録やDNAなどによって、カパウン氏の身元を最終確認したと明らかにした。カパウン氏の遺骨は約650人の身元不明の韓国戦争戦死者が眠るハワイ国立太平洋記念墓地に埋葬された。米当局は2019年から遺骨の身元確認を行っている。

 

1916年、チェコ移民の家庭に生まれたカパウン氏は40年、カトリックの司祭に任命された。第2次世界大戦にも従軍し、50年に韓国に派遣された。カパウン氏は、ジープに毛布を敷いて作った臨時祭壇でミサを行い、木とわらで塹壕を作って負傷兵を待避させるなど、軍宗神父以上の役割を果たした。

同年11月、カパウン氏の部隊は咸鏡南道元山(ハムギョンナムド・ウォンサン)で中国共産軍に包囲された。撤収命令が下されたが、カパウン氏は捕虜になることを覚悟して負傷者と残った。砲弾が飛び交う敵陣で負傷兵を介護し、兵士たちの最期の瞬間の祈りを捧げた。当時、戦闘で生き残ったハーバート・ミラーさんは、「彼が負傷兵である私を撃とうとする中国共産軍の銃口を押しのけ、私を背負った」とし、自分が生き残ったのはカパウン氏のおかげだと振り返った。カパウン氏が敵軍である中国共産軍の負傷者も助けたと語った。

 

捕虜となったカパウン氏は、平安北道碧潼(ピョンアンブクト・ピョクトン)の捕虜収容所に収監された。カパウン氏は飢えた兵士たちのために、中国共産軍の倉庫から食べ物を盗んで分け与えた。収容所の職員に頼んで、自身の時計を毛布に換え、その毛布を切って仲間に靴下を作った。収容所の環境は劣悪で、肺炎にかかり、51年5月に死亡した。「私のために泣かなくてもいい。いつも行きたいと思っていた所に行く。向こうで皆のために祈る」という遺言を残した。

ミラーさんら生き残った兵士たちの証言で、54年にカパウン氏の犠牲を記した本『従軍神父カパウンの話』が出版された。韓国では56年、当時学生だった鄭鎮奭(チョン・ジンソク)枢機卿(90)が翻訳版を出版した。93年、ローマ法王庁はカパウン氏を列聖に向けた最初のステップの「神の僕」に指名した。2013年、オバマ米元大統領も、カパウン氏に最高武功勲章である「名誉勲章」を授けた。


キム・イェユン記者 yeah@donga.com