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150年前も…「伝染病の恐怖」は社会を押さえ付けた

150年前も…「伝染病の恐怖」は社会を押さえ付けた

Posted April. 11, 2020 08:19,   

Updated April. 11, 2020 08:19

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「生命のメカニズムが突然抑制され、腸液が急速に抜けた肉体は、湿っぽく枯れた肉の塊に変わったが…その中の心は損なわれずにそのまま残っており、魂は死体の中に閉じ込められたまま恐怖に慄きながら外を見る」

英紙・ザ・タイムズは、19世紀のコレラ患者の最後の姿をこのように描写した。死に至る瞬間まで、患者の精神だけははっきりしている。このため、無色無臭の小さな粒が浮かんでいる水が、腸から溢れ出る中でも、秒単位で寿命が減っているという認識をそのまま感じざるを得なかった。当代の人々はこれを「コレラの呪い」と呼んだ。

大規模な伝染病の恐怖は、社会を抑えつける。同時に、他方では、発症の原因を解明して恐怖を克服する解決策を探すためにうごめく。1854年にロンドンでも同じだった。ニューヨーク・タイムズやガーディアンなどに投稿して、科学の大衆化に貢献した著者が、コレラ菌が襲ったロンドン・ソーホー地区であるブロードストリートにスポットライトを当てた。そして、医師のジョン・スノーと教区牧師のヘンリー・ホワイトヘッドという人物がコレラ拡散を防ぎ、学界パラダイムまで変えた旅を描いた。人物たちに没入度の高い叙事を着せ、緻密な文献研究をもとに行われた詳細な説明が美徳である。

1854年8月28日から9月9日までの約2週間が、この本の時間的背景である。この期間中に発症地から半径225メートル以内の住民のうち、500人以上が倒れた。9月8日、細菌の温床として飲料水ポンプが挙げられ、ポンプのハンドルを除去したことでこの一帯コレラは減少傾向に入った。

当時のコレラの急速な拡散を理解するためには、英国の実像を知らなければならない。ロンドンを描写する文章で欠かせない単語は「悪臭」だった。産業発展により、「煙の都市」が先進都市であることを裏付けるように、化石燃料が毎日燃え上がった。ゴミや汚物があふれる下水道もまた、激しい臭いの原因となった。1851年、ロンドンの人口は世界最大水準である240万人に膨らみ、死体もあふれた。毎週穴の中に死体を投げ入れて埋めることを繰り返して、都市は悪臭に染み付いて行った。

下水設備を十分に備えていない状況で、爆発的に増加した水洗トイレは、街ごとに汚物をあふれさせる逆効果をもたらした。華やかな都市の裏通りでは、動物の死体と人の遺体、汚物の間をかき回しながらお金になるものを探し出すくず広いも多かった。

悪臭は学界で、「病気の原因」と言われた。不潔できつい臭いが空気中に広がって人を病気にするという毒気論が主流理論だった。しかし、ジョン・スノーとヘンリー・ホワイトヘッドがコレラ死者の行跡をしつこく追跡した結果、原因は汚染した水だった。

彼らが初めて「コレラは水因性疾患」と主張したとき、保健当局は「空気の毒性が強すぎて、水まで感染させたのだ」と一蹴した。しかし、調査をしてみると、コレラ死者の糞尿とあらゆる細菌が入った汚染された穴の水が、ポンプ内に流入したことが明らかになった。コレラとの戦いで決定的な転換がなされた瞬間である。この旅を記録した感染地図は今でも伝えられる。

150年前、コレラとの戦いは他人事ではなかった。新型コロナウイルス感染症のワクチンを開発する研究者、病魔と戦う患者と医療スタッフ、社会的距離置きをしながら「隔離日誌」をつける私たちも、後代に残す新しい感染地図を書いていることになる。この本が改訂版にも拘わらず、読み返すべき理由がここにある。


キム・ギユン記者 pep@donga.com