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李儁烈士と安重根義士が経たウラジオストク駅

李儁烈士と安重根義士が経たウラジオストク駅

Posted January. 18, 2020 08:57,   

Updated January. 18, 2020 08:57

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ウラジオストク市の中心にある中央革命広場から徒歩で10分の距離にあるウラジオストク駅は韓国人との縁が深い。1893年、ウラジオストクとウスリースク区間が開通して以降、使われ始めたこの駅は、世界最長のシベリア横断列車(9334キロ)の終着地として有名だ。また、沿海州と満州を舞台に独立戦争を繰り広げた抗日闘士が利用した場所でもある。

縁の開始は1907年。ハーグ特使が万国平和会議に参加するためにこの駅を訪れた。「第二次日韓協約(1905年)の不当さと日帝の侵略を世界に伝えよ」という高宗(コジョン)皇帝の密旨を持って、李相卨(イ・サンソル)と李儁(イ・ジュン)は同年5月21日、ウラジオストク駅からサンクトペテルブルクに向かう列車に乗った。15日後の6月4日にサンクトペテルブルクで李瑋鍾(イ・ウィジョン)と合流した特使は、オランダ・ハーグに到着し、日本の侵略行為を糾弾した。 

1909年10月26日、ハルビンで伊藤博文を刺殺した安重根(アン・ジュングン)もこの駅を利用した。安重根は同年2月7日(陰暦)、ロシア領土での韓国人の初期の定着地である延秋下里で12人の同志と共に左手の薬指を切って、太極旗に「大韓独立」と血で書き、国のために命を捧げることを決心する。その後、ウラジオストクの韓国人の定着地である開拓里で、伊藤博文が満州を視察しに来るという消息を聞くや、暗殺することを決心する。この時、開拓里の韓国人社会の指導者、崔在亨(チェ・ジェヒョン)は、安重根ために拳銃「ブローニング」を手に入れるなど、偉業を支援した。ついに10月21日午前8時50分、ウラジオストク駅で安重根は同志禹徳淳(ウ・ドクスン)と共に偉業を実行した。この他にも多くの無名の独立闘士がウラジオストク駅を利用して独立運動を行った。

ロシアの韓国人独立運動史の最後の場面もこの駅で繰り広げられた。1937年にスターリンが実施した韓国人強制移住政策により、何も知らずに汽車に乗った韓国人は、中央アジアなどロシア各地に散らばった。鳳梧洞戦闘の主役、洪範図(ホン・ボムド)もこの時、カザフスタンに連れて行かれた。水原(スウォン)大の朴桓(パク・ファン)教授は、「中央革命広場がウラジオストクの象徴なら、ウラジオストク駅は韓国人独立運動の象徴に挙げられる」と指摘した。


ウラジオストク、ウスリースク=アン・ヨンベ記者 ojong@donga.com