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朴恒緒はできて、ヒディンクはダメだった理由は

朴恒緒はできて、ヒディンクはダメだった理由は

Posted December. 13, 2019 08:47,   

Updated December. 13, 2019 08:47

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ベトナムの朴恒緒(パク・ハンソ)監督が東南アジア競技大会(SEAゲーム)で優勝を決めた瞬間、やっぱりフース・ヒディンク監督の顔が思い浮かんだ。2002年のワールドカップ(W杯)で韓国の4強神話を導いた名将だったし、当時代表チームの首席コーチだった朴恒緒氏に多くのインスピレーションを与えた恩師だ。しかし、ヒディンク氏は今年9月、朴監督のベトナムに敗れて中国五輪代表監督から解任された。就任1年の時だった。何が朴監督とヒディンク氏の運命を分けたのだろうか。

ベトナムは、今や手強いチームになったが、2年前に朴氏が監督に就任するまでは、烏合の衆に過ぎなかった。練習が終わるとコーチはもちろんのこと監督も一緒に練習道具を片付けたが、選手たちがそれを見ながらも手伝おうとしなかった。食事時間に、選手たちは互いに言葉の一つも交わすことなく、携帯電話だけを触っていた。ベンチで待機している控えメンバーたちは、試合を見ないでよそ見をしていた。だから、東南アジアでも常に辺境の地位にいた。

最近、ベトナムサッカーの選考戦略をまとめた本を書いたチャン・ウォンジェ教授(元サッカー協会技術委員)は、朴監督がベトナムのこうした個人主義を打破したことを重要な要因に挙げた。朴監督は、選手たちの結束を図り、食事時間に携帯電話の持参を禁止し、選手同士の会話を誘導した。違反すれば罰金を科した。同じレベルの選手なら、チームの良く溶け込む選手を起用した。選手たち尊重するリーダーシップで選手たちの心をつかんだ。チームワークが良くなり、戦術能力が改善された。そうして勝利を味わうようになると、破竹の勢いで突き進んだ。

実際、現代サッカーは戦術的に複雑化し、スペースも広く使うようになってから、選手同士の円満なコミュニケーションと連携がが勝敗を分けている。ベトナムの勝利も、そうした脈絡から理解できる。孫興民(ソン・フンミン)のような欧州のビッグリーグで活躍する選手たちも、弛まず同僚たちに親指を立てて見せるのは、一人ではとても勝てないことを知っているからだ。

だから中国サッカーは低迷しているのだ。アリババの創業者、馬雲氏が最近公式席上で「中国サッカーはめちゃくちゃ。選手たちは、そもそも協力することを知らない」と批判した。実際、中国選手たちは、一人でサッカーをして、他人のせいにしている。先月、W杯予選(シリア戦)で敗れた直後、FW武磊(スペインのエスパニョール)が「めちゃくちゃな守備のせいで敗れた」と話したことが波紋を広げた。A代表選手がこのレベルだから、もっと下の年代の選手たちは言うまでもないだろう。

ヒディンク氏も、こうした中国サッカーを変えることはできなかった。中国サッカー界は、ヒディンク氏を指導者としてではなく、技術者として扱った。彼がチームを作っていく過程を理解できず、短期間の成果だけを求めた。2002年当時、私たちがヒディンクの試行錯誤を1年6ヵ月も我慢していたのとは違った。中国は、今も「サッカーは文化ではなく技術」と認識している。だからA代表のマルチェロ・リッピー監督まで辞めてしまったのだ。

人の国のサッカーチームに限った話ではない。我が国も多くの企業がミレニアル世代の個人主義で頭を悩ませている。サッカーほど世の中も複雑化し、協力はさらに重要になってきた。一人で解決できる問題はあまりない。個人主義の否定的な面をどう解消するかによって、ベトナムサッカーは成功し、中国は失敗した。

ベトナムサッカーの例から、個人主義がどういうものの原因で結果なのかをしっかり見極めることも重要だ。スポーツ心理学者たちは、過去のベトナム選手たちの個人主義的な行動を、一種の防御メカニズムとして分析する。実力がなかったからではなく、ただ最善を尽さなかったから負けただけ、といった心理的な保護膜を張っていたのだという。個人主義が敗北の原因ではなく、敗北による無気力の結果だという。だから、我が社会の個人主義を罵倒するのではなく、我々の中にある姿から覗いている智慧が必要だ。


touch@donga.com