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父親の品格

Posted December. 04, 2019 08:32,   

Updated December. 04, 2019 08:33

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彼は幼い息子が乞食を指差し、恥知らずにももの乞いをしていると言うと、「彼らの心を読むのはお前がすることではない。お前がすることは疑うことではなく、施すことだ」と叱った。また、彼は、労働者や街頭の清掃夫が一緒に食事しようと言うと、高級服を着ながらも地面に座って、ひと口、ふた口食べ、彼らが気づかないように皿の下に紙幣をこっそりと押込み、おいしかったと言って立ち上がる人だった。些細や言動からあらわれる人間の品格と言おうか。

彼は以前リビア将校だったが、転役を強いられ、末端の外交官として国連本部にしばらく派遣されたことがあった。彼は、ニューヨークでの初の出勤の日に、おぞましい事故を目撃した。自転車に乗った人が目の前で大型のトラックにひかれて凄惨な姿で死んだ。その場から離れるところだが、彼は肉や骨片を一つ一つ拾い、道路の上の死体の胴のそばに敬けんな態度で置いた。死者、いや生命への礼儀だった。

クーデターで政権に就いたカダフィはそのような品性を持った人をそっとしておかなかった。カダフィ政権は、彼が反体制活動をすると、1990年、エジプト・カイロに逃れて暮らしていた彼を拉致し、アブサリム刑務所に閉じ込めた。妻と2人の息子は彼に永遠に会うことができなかった。1996年、アブサリム刑務所で約1200人の政治犯と共に虐殺された可能性があるが、独裁政権は遺体すら家族に渡さなかった。そして、彼が哀悼を受け、家族が哀悼する権利を奪った。42年間、リビアを統治したカダフィ政権が欠如したのは品格だった。

『リビアの小さな赤い実』という小説を書き、2017年に回顧録『帰還: 父と息子を分かつ国』でピューリッツァ賞を受賞した小説家、ヒシャーム・マタールが、行方不明になったその男性の息子だ。『帰還』は父親を探した数十年間の苦痛の記録だ。しかし、それは息子には慰めだった。少なくともその記録の中では父親が生きているのだから。

文学評論家・全北大学教授