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まっすぐだが締めが甘い李儁

Posted September. 28, 2018 08:34,   

Updated September. 28, 2018 08:34

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高宗(コジョン)は1907年、オランダのハーグで開かれた第2回万国平和会議に李相卨(イ・サンソル)、李儁(イ・ジュン)、李瑋鍾(イ・ウィジョン)の3人の特使を派遣する。乙巳条約の不法性を暴露し、韓国の主権回復を国際社会に訴えるためだった。この時、特使として派遣された李儁は、韓国初の検事である。高宗は、先生の法律知識と正義感を高く買って特使に指名した。しかし、日本代表の小村寿太郎の妨害工作で、ハーグ密使事件は失敗に終わってしまう。李儁はハーグのホテルで煮えたぎる憤りに勝てず病死する。

李儁の文字は、剛直さと素朴なものが調和をなしている。正確な正方形を成していて、バランスが取れているうえ、角だっていて、力があふれているので、まっすぐな人物であることを示している。剛直な気概、雄渾な気が文字全体で漂っている。画の始まりにねじれがなく、筆画がきれいなことから見て、純粋で技巧を使わないことがわかる。彼は韓日議定書の反対デモを主導し、大韓協同会副会長として日本の荒地開拓権の要求に強く反対し、反一進会闘争を展開したことで、黄海道鐵島(ファンヘド・チョルド)に6ヶ月間流刑されたりもした。

「田」、「白」、「石」からもわかるように、下の部分が上の部分より相当小さい。このような字を書く人は、何か他の人とは異なる視点があり、芸術的センスがある場合が多い。しかし、バランスの維持が困難で偏りやすく、仕事を処理する際は竜頭蛇尾になる可能性がある。安定志向的で成功する力のある人の字は、これと対照的に下の部分がより大きい。先生は漢城(ハンソン)裁判所の検事補として、高官たちの不正と不法を暴き出したが、貪官汚吏たちの中傷で1ヶ月後にやめたことや、平理院の検事時代、高宗の赦免令に基づいて当時乙巳五賊を処断しようとした奇山度(キ・サンド)などを赦免者名簿に載せたが、これに反対する上官と摩擦を起こして8ヶ月後に罷免されたことは、これと無縁ではないだろう。

弁護士・筆跡研究家