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昭和天皇、戦争責任の苦悩をもらす、元侍従の日記

昭和天皇、戦争責任の苦悩をもらす、元侍従の日記

Posted August. 24, 2018 09:35,   

Updated August. 24, 2018 09:35

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「細く長く生きても…。戦争責任のことをいわれる」

昭和天皇(在位1926~1989)が自身の戦争責任に対する批判と関連して発言した内容が元侍従の日記に記されていたと、共同通信が23日付で報じた。同通信は、昭和天皇の生前に侍従として仕えた小林忍氏(2006年死去)の日記を遺族から入手した。

日記には、昭和天皇が85歳だった1987年4月、住まいの皇居・吹上御所で小林氏に「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と漏らしたことが記されている。小林氏はこれを「昨夕こと」とし、4月7日の欄に記した。そして昭和天皇に「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と話したと記した。

当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減を検討していた。同年2月には天皇の弟の高松宮が亡くなった。すでに公表されている先輩侍従の日記にも、同じ4月7日に、「長生きするとろくなことはないとか 小林侍従がおとりなしした」とつづられていると、同通信は伝えた。

同通信は日記の内容について「日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった」と指摘した。昭和天皇は公式の回顧録で、太平洋戦争について「軍部と議会が戦争決定を下し、立憲君主として裁可しただけ」と自身の戦争責任を否定したことがある。

 

小林氏の日記には、昭和天皇がいつ、誰から戦争責任を指摘されたのかについての記述はない。ただ、86年3月の衆議院予算委員会で共産党議員だった故正森成二氏が、「無謀な戦争を始めて日本を転覆寸前まで行かしたのは誰か」と天皇の責任を追及、これを否定する中曽根康弘首相と激しい論争が交わされた。

昭和天皇は4月29日に、天皇誕生日の宴会で嘔吐して退席した。同年9月に手術を受け、一時復調したが、88年9月に吐血して再び倒れ、89年1月7日に亡くなった。

小林氏は74年4月から昭和天皇の侍従になり、香淳皇后が亡くなる2000年まで26年間、ほぼ毎日日記をつづった。


徐永娥 sya@donga.com