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シューベルトの未完成交響曲にあるドイツ民謡の旋律、どちらが先?

シューベルトの未完成交響曲にあるドイツ民謡の旋律、どちらが先?

Posted August. 26, 2014 04:02,   

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作曲家フリードリヒ・ジルヒャー(1789〜1860、写真)の名前を聞いたことがあるでしょうか。ハイネの詩に曲をつけた「ローレライ」で知られている人です。今日(26日)は彼が1860年にこの世を去った日です。

ジルヒャーは、ドイツ人にとって非常に馴染みのある音楽家です。ドイツ全域で歌いつがれている民謡を調査し、楽譜集として編纂したからです。皆さん、「深い山の中の小さな泉…」で始まる「オンダルセム」(小さな泉)という曲を知っていますか。この曲も、ジルヒャーが1836年初めて楽譜にしました。「誰が来て飲むの?」の「ソシレファミレド」という親しみやすいメロディーは、一度聴いたらなかなか忘れられないほどのインパクトを持っています。ドイツ語のタイトルは、「あの下の野原は」(Drunten im Unterland)です。「あの下の野原(低地帯)はいいところ。高い(高地帯)丘にはスモモが、下の野原にはブドウが育つけど、私は野原が好きなんだ」。

興味深いのは、シューベルト交響曲第8番「未完成」第2楽章の旋律にも「ソシレファミレド」の音型が登場するということです。7つもの音符が一致するのは、偶然とは言い難いですね。どちらが先でしょうか。

未完成交響曲は1822年に作曲されたため、人々がこの旋律の一部を取って合唱していたのをジルヒャーが楽譜にしたと考えられがちですが、実はそれほど簡単な話ではありません。未完成交響曲は長い期間引き出しの中に眠っていて、1865年にやっと日の目を見たからです。それでは逆に人々が歌う合唱を聞いて、シューベルトがインスピレーションを受けたのでしょうか。

ジルヒャーの楽譜が発表されて8年後の1844年、ドイツの民謡専門家であるルードヴィヒ・エルクは、「この歌はドイツ全域に知られている」と話しました。まだドイツが統一される前だった当時は、オーストリアもドイツの一部として扱われていました。

当時の通信・出版環境からすると、1844年ドイツ全域に知られていた歌なら、それから約20年前の未完成交響曲が作曲された当時にも、シューベルトがこの歌を知っていた可能性が高いです。シューベルトは民謡に対する尊重の念を込めて、この旋律を交響曲に採用したのでしょうか。

シューベルトが世を去って200年近く経った今、結論を下すのは難しいです。ただ推定し、想像する楽しみがあるだけです。