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「不平等だと文句を言わず、男の仕事も堂々と」 韓進グループ初の女性社長、趙模欄氏

「不平等だと文句を言わず、男の仕事も堂々と」 韓進グループ初の女性社長、趙模欄氏

Posted January. 09, 2014 05:56,   

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「『不平等だ』と文句を言わず、『我々もできる』と堂々と言うべきです』

7日、大韓(テハン)航空ソウル西小門(ソソムン)の社屋で会った韓進(ハンジン)インターナショナルジャパンの趙模欄(チョ・モラン)代表(46、写真)は昨年末、韓進グループの定期役員人事で、女性としてはただ1人、代表取締役になった人物だ。1945年、韓進グループ創立後、趙亮鎬(チョ・ヤンホ)韓進会長の長女の趙顯娥(チョ・ヒョンア)大韓航空副社長兼カルホテルネットワーク代表を除き、系列会社と子会社をあわせて、女性の代表取締役が出てきたのは初めて。

大韓航空の子会社である韓進インターナショナルジャパンは、日本航空に人材を供給し、韓進グループの系列会社の設備や不動産を管理する会社だ。

趙代表が、女性の役割を拡大する過程は、些細なことから始まった。海外広報を担当していた1998年、当時は女性職員らに徹夜の当直はなかった。女性にはきついという理由からだった。しかし当時、課長だった趙氏は、「女性職員も当直が務まる」と、平等に仕事を分けた。

00年は、「子持ちの人妻」としては初めて、海外への短期派遣に出向いた。

「面接官らから、『義理の親や夫、子供は大丈夫か』と、いろいろ言われました。もちろん、先に、家族に十分理解を求めました。会社では、女性も同じ仕事ができることを知らなかったんですね。堂々と語る分だけ、チャンスは多くなります」。趙氏は、日本の成田空港で1年間勤務した。

趙代表は1990年に入社後、旅客運送分野で専門性を身につけてきた。12年、韓進グループで、オーナーを除く最年少(44歳)女性役員に昇進し、話題となったこともある。現在、韓進グループには、趙代表を含め、女性役員10人が働いている。

趙代表の「責任リーダーシップ」は、11年、東日本大震災のとき、光を放った。当時趙代表は、日本の羽田空港支店長として勤務していた。地震が起きると、羽田空港は戦場さながらだった。恐怖に包まれた日本人職員らが、趙代表に声を掛けてきた。「支店長は、逃げるところ(韓国)があるじゃありませんか。我々は行くところがありません」。

趙代表は落ち着いた口調で話した。「私の任期は2年残っています。私も家族らと一緒に、ここで暮らしています」。この言葉に、職員らは趙氏を信じ、一つにまとまることができた。

コミュニケーションに長けていると評される女性リーダーにとって、重要なことは何だろうか。 趙代表は、「男性への思いやり」だという。「女性は、自分の悩みを打ち明けるのに慣れているが、男性は、自ら解決策を見つけようとします。男性職員らには会話を強要するよりは、彼らの悩みを見抜き、『必要なものがあれば、いつでも声を掛けてね』と慰めることがもっといいのです。また、女性職員とはコーヒーを一杯飲むのであれば、男性職員には、体育大会を開いてあげたほうがより効果的ですね」。

韓進インターナショナルジャパンの代表として直面した最大の課題は、転職率を下げることだ。フリーター族(必要な金が集まる時まで、バイトで働く人たち)が増加し、人材派遣業界は、職員らが1年半働けば、ほかの会社に移る。

趙代表は、「最初から、優れた職員を選び、高いサービスを提供できるようトレーニングし、会社のビジョンや文化を共有する」とし、「コミュニケーションに長けた女性のリーダーシップが多く役立つことになるだろう」と強調した。