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外国人労働者だったー「経営者」たち…元産業研修生が語る成功のカギ

外国人労働者だったー「経営者」たち…元産業研修生が語る成功のカギ

Posted May. 18, 2005 22:29,   

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「韓国では毎日夜勤をしていました。午前7時から深夜12時まで。時には未明の2時まで働きました。そうやってお金を稼ぎ、国に帰ったら、母がどれほど泣いたかことか…」

大邱(テグ)の自動車部品メーカーの中央(チュンアン)産業で1996年からおよそ2年間、産業研修生として働いたタイのソパ・デンウンアムさん(46)。

韓国で月60万〜80万ウォンをもらった彼は、貯蓄した1000万ウォンを持って帰国し、精米所をオープンし、豚の飼育を始めた。今や月540万〜570万ウォンの収入をあげる立派な社長さんだ。

彼は「中小企業週間」(16〜21日)を迎え、中小企業共同組合中央会から特別招請された研修生出身の外国人企業家5人のうちの1人。過去の研修生が現在の社長になって韓国を訪問し、17日、その後の苦労話とサクセス・ストーリーを語った。

中国の劉佃太さんは、韓国で学んだ「家族経営」を実践して故国で成功したケース。劉さんは00年から3年間、忠清南道燕岐郡(チュンチョンナムド・ヨンギグン)の漢陽(ハンヤン)飼料工業で働いた。

「会社で『従業員は家族』という考えを盛んに強調されました。中国ではそのような概念があまりありません。韓国で貯めた2400万ウォンを元手にして中国で鉄鉱石事業を始めましたが、会社に『家族経営』を導入して社員管理に活かしました」

忠清北道陰城郡(チュンチョンブクト・ウムソングン)にあるヒョイン産業で2年間勤務したインドネシア出身のスナルト・ムハマッドさん(35)は「食べたい物も食べず、人が休む時にも休まずに働いて貯めた資金で、インドネシアで魚料理を専門にする水上レストランを開業し成功した」と話した。

彼は「韓国での研修期間中、金をかけずにできることは釣りしかなかったため、釣りを楽しんだが、その時のアイデアで水上レストランをオープンした」と紹介した。水上レストラン3店を保有し、収入も月500万ウォン程度になったムハマッドさんは、韓国に研修生として来る前と成功した今の収入を比較すると、100倍程度の差があるという。

ウズベキスタンのサパラリイェプ・ジャホンギルさん(30)とインドネシアのスンコノさん(35)もそれぞれ国に帰って食堂とパン工場を開き、成功を収めている。

彼らは「周りの友達で韓国で働きたがる人が多い」とし、韓国で就業したい人のために次のような忠告も忘れなかった。

「他社との給料を比べ、転々と移らないこと」、「韓国人に怒鳴られても傷ついたり、逃げないこと。元々短気なのだ」、「パリパリ(早く早く)文化に慣れること」など。

18日、以前に働いていた会社を訪問し、昔の同僚との再会を果たした5人は、中企協主催の外国人労働者慰労会、名勝地観光などに参加し、23日に出国する予定だ。



ssoo@donga.com