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みどりに捧げる賛美

Posted January. 07, 2005 23:07,   

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自称「万物の霊長」である私たち人間に、彼らより優れた点があるのか。

彼らは、大気に酸素を供給し、水分を保存してこの星の気候を安定させてきた。彼らの種と実、葉は、彼らを食べて成長した動物とともに私たちの食卓に上る。緑色に覆われた大地や草、花の香りは、私たちに安らぎと慰めと霊感を与える。反面、私たちは彼らを刈り燃やすことにこの一世紀の大半を費やしてきた。

この2冊の本は、私たちよりはるか先に地上に進出し、私たちの豊かさを支えてくれた陸上植物に対する賛歌だ。『グリーン・マントル』の著者、ジョーダンは、東西の神話や象徴、芸術に登場する木と花を通じて、『プラント・ハンター』の両著者は、異国の神秘な植物群を探すために命をかけている17世紀以後のドイツ人の足取りを通じて、それぞれ「地球の肺」ならぬ緑の生命を賛美する。

『プラント・ハンター』に紹介された8人の情熱的な植物収集家の中には、他の分野で卓越した業績を残した人物が多い。近代地理学の父と呼ばれるアレクサンダー・フンボルト。1799年、帆船に乗って南米に出向いた彼は、熱帯の蚊に悩まされ、夜は砂に体を入れて眠るしかなかった。「尊敬するベルリン植物園長さま、生きて帰れるかは不確実であり、その可能性はほぼないように思われます」。しかし、彼と同僚のボンプランの努力のお陰で、南米の異国的なバラとダリアが全欧州を覆うことができた。

童話『ペーター・シュレミールの不思議な物語(影を売った男)』でドイツ文学史に名前を残した浪漫派作家、アーデルベルト・フォン・シャミッソーも『プラント・ハンター』の一章を飾っている。ロシアのロマンチョフ探検隊のメンバーとして参加した彼の旅程は、オセアニアとインド洋を除いた4大洋5大州に至った。フィリピンからシャミッソーを警護した警備隊長には次のような指示が下された。「草木、石、虫など何でも見たがるこの紳士のために、昼にだけ馬に乗るようにし、要請があれば直ちに行列を止めるように」。後に150種以上の植物種がこの「浪漫派文学士」の名前にちなんで名付けられた。

『プラント・ハンター』が人物やエピソードを中心に書かれているのに対し、『グリーン・マントル』は「植物で見る人類学」とも呼べるほど、すべての文明圏を行き来しながら植物にかかわった原型意識を探っている。一例として、「雨は神の精液だった」としている。現代人にはぴんと来ない話だが、多くの原始文明圏では共通した観念だった。春雨が降った後は決まって新芽が出るから、すべての植物の夫は雨を降らす神であるしかなかった。

古代人類にとって木は、時には神の資格に当たる畏敬の対象だった。ユダヤ人は「嫉妬する神」だったヤハウェの祭壇の近くにある森を全部刈り切らなければならなかった。人間に似た神を崇拝する宗教が普遍化した後も、各文化圏には畏敬心を巻き起こす木々が残っていた。中華文化圏では道教で西王母が育てるという桃の木が歓迎された。キリスト文化圏で畏敬心を起こす木はモミの木だった。聖者ボニファキウスが異教徒の聖地で神聖視されるクヌギを伐るや、そこでモミの木が育ったという信仰のためだ。今日もクリスマス・シーズンになれば、欧州だけで2000万ポンド相当のモミの木がクリスマス・ツリーに使われる。

「昔、人類は精霊の宿っている植物を虐待すれば、天から罰があたると信じていた」著者のジョーダンは語っている。「英国だけでこの150年間、少なくとも21種の土着植物が絶滅した。サハラ砂漠が南へと広がり、この地域で数百万人が飢餓に苦しめられている」。これは人類全体の未来に対する前兆に過ぎないからかもしれない。

「現代人の愚かさがもたらした結果が目の前に現れ始め、私たちは植物にだんだんより多くの道徳的な意味合いを付与している。また、付与すべきだ」。



劉潤鐘 gustav@donga.com