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あなたは自分だけのサーフィンボードを持っていますか?

あなたは自分だけのサーフィンボードを持っていますか?

Posted October. 29, 2022 10:32,   

Updated October. 29, 2022 10:32

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「サーフィンできますか?サーフィンできますね」

主人公の「私」にとって、このような言葉はもう大したことではない。米国のハワイで生まれ育ったから、当然の反応かもしれない。しかし、私はサーフィンをしたことがない。どういうわけか、そうだった。

ソウルでグローバル企業に勤めている私に、ある日、弁護士から連絡がきた。叔母が亡くなり、江原道襄陽(カンウォンド・ヤンヤン)にある小さなマンションを遺産として残したという。売り払うつもりで行ったマンションの前には、広々とした海が広がっているのに…。そこは韓国で数少ないサーフィンの聖地だった。

「サーフィンする精神」は妙な小説だ。なぜか予想可能な流れの中で、既視感がいっぱいにじみ出ているが、実際に読むと見慣れない絵が繰り広げられる。まともな銃撃シーンは一つも登場しないが、あちこちにうっすらとした殺風景が相次ぐホラー小説。これといった大げさな雰囲気はないが、なんだか凄まじくておぼろげだ。

まず、私という人物が与える胸の痛むところから独特だ。両親を交通事故で亡くして一人暮らしをする女性ならありそうな、「悲恋のヒロイン」の匂いはない。だからといって、キャンディのように生き生きとしているわけでもなく、賢いわけでもない。地下鉄でさっと通り過ぎると記憶にも残らない、鏡に映った私たちの姿のように。しかし、その内面にはどこかに叫びたい言葉が、喉までこみあげている。世の中の人たちは、「誰もが痛いです」と。

世界一のサーフィンしやすい島でもサーフィンをしなかった私は、冬場に黒いサーフィンスーツを着なければならない東海岸でサーフィンを習い始める。もしかしたら世の中で一番馬鹿みたいなことかも知れないが、あまり気にしない。もしかしたら私には、必ずしもサーフィンじゃなくてもよかった。自分をなだめる何かに会うなら、他人がどう見るかはあまり重要ではないから。それでは、私たちも自分たちだけのサーフィンボードを探す時だ。そこに海がある限り。

「波は、もう一度押し寄せるだろうし、もう私が乗るタイミングだった。波が遠くから近づいている。かすかだが、あの流れは波だった」。


丁陽煥 ray@donga.com