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アオガエル

Posted May. 21, 2022 09:06,   

Updated May. 21, 2022 09:06

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人は一人だが、名前は複数あることもある。この詩を書いた詩人は、法名が霧山で、法号は萬嶽であり、人々にはオヒョン僧侶と呼ばれた。生前に詩人は、ふらふらと現れてさっと消える、どこにも縛られない方だった。これのみいいという固執とか、あれだけが貴重だという我執とか、欲しくてたまあらないという執着は僧侶とは最も遠いものだった。世間の貴物や過度な美しさも淡々と見る方だった。

ところが、達観の達人まで非常に感嘆したものがある。ほかならぬ生命だ。詩人は、「アオガエルで詩を書くのは難しい」と不平を言ったが、当然のことだ。ここでアオガエルは生命そのものであり、生命は本当に扱いにくい素材だ。生命は大切で輝いている。あまりにも輝いていて、詩人はそれを言語で表現するのに失敗した。言語が失敗して命が勝ったのは嬉しいことだ。

数年前、詩人の作品について論じる時、私は百潭寺(ペクダムサ)の方を眺めたが、今はそれができない。詩人はあそこにいらっしゃらない。もう4周忌となる。その代わり、詩人はここにいる。アオガエルの中に、草むらのどこかに、何よりも青い詩の中に。