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頼り合うこと

Posted January. 03, 2022 09:20,   

Updated January. 03, 2022 09:20

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「私たちは皆、時にはひどく親密な方法でお互いに依存する。もしかしたら依存がこのように不便なのは、親密性を要求するためかも知れない。(中略)しかし、脆弱性には新しい存在方式と支援および疎通の方式、すなわち能力と種の差を貫通して意味を付与する新しい方式も潜在している」(スナウラ・テイラー「荷を引く獣た」)

誰かに依存しているということは、しばしばぞっとすることがある。脆弱で依存的な対象は、簡単に搾取されるからだ。公正でない相互作用で「依存」という言葉は、家父長や奴隷制度、障害抑圧を正当化し、搾取を続けるように助けるとテイラーは言う。そのため、我々は脆弱で、依存的ではなく、強く独立的であることを望んでいる。

私は中国の山裾で、森とアスファルト道路を行き来しながら生きている野生の葉猿を観察する。人間が開発して、残り少ない森に葉猿たちが食べるものはほとんど残っていない。「野生動物に餌を与えないで」という立て札の前で、人々は葉猿にパンとヨーグルト瓶を握らせて、ソーシャルネットワークサービス(SNS)に掲載する映像を撮る。テイラーが家畜化された動物を搾取する人間について話したとしたら、私は野生動物の生息地を破壊し、彼らを障害化させる人間を見る。つやのある黒いたてがみを持つこの美しい葉猿は、破壊された生息地の端で限りなく脆弱だ。

「人々は野生動物を食べさせながら、彼らを助けると考えるが、生態系では葉猿は植物を食べてその種子を広める役割をする」。目の前で人間に依存する脆弱な動物は、実は地球の一員として人間が依存している存在である。葉猿だけでなく、すべての動物がそうだ。きちんとした関係を築くには、動物に必要なものを知り、尊重しなければならない。我々と繋がっている存在に必要なものを理解しようとするとき、依存は美しくなるのかもしれない。