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切ない訴え

Posted October. 08, 2021 07:40,   

Updated October. 08, 2021 07:40

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皇帝を夢見た武則天は、高宗が重病を理由に朝廷の仕事を一任すると、太子・李忠を謀反罪で処罰し、自分が産んだ長男・李弘を太子とした。後日、李弘までが疑問の中で亡くなると、次男の李賢を太子とした。李賢は野心に満ちた母后・則天と絶えず対立し、自分も先の太子たちのように命が危ないことを予感した。詩は自分と兄弟たちをキュウリに、母后を農夫に例えている。農夫よ、間引きもほどほどにしてこそ実がよく育つもの、全て取ってしまえば残るのは蔓だけじゃないか。これ以上子供たちに危害を加えるなと切なく訴えた。

子どもの立場で、母との対立を理由にここまで露骨に訴えられたのではないかという議論がなくはないが、この詩を収録した「全唐詩」には、「自分の命の保全を懸念した李賢が、露骨に口には出せず、この歌詞を作り、楽公に歌として作らせた。母后が歌を聞いて覚醒することを願う気持ちからだった」という記録があり、詩の中に感じられる詩人の苦悩がかすかに伝わっている。

李賢は謀反罪に問われて命を失い、三男の李哲と四男の李旦が順に皇位につくが、則天が皇帝に推戴されると、その座から降りなければならなかった。彼らは15年間皇座を守った則天が追い出されてから皇位を取り戻した。たくさん熟したキュウリは、早くから間引かれて消えたり、苦難の中で汚辱のくびきを着け、辛うじて生き残ることができた。

成均館(ソンギュングァン)大学名誉教授