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戦争ゴミ

Posted June. 24, 2020 08:51,   

Updated June. 24, 2020 08:51

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人間は時々、他人を物のように利用しては捨てる。哲学者・マルティン・ブーバーは、そのような関係を「私-それ」の関係だという。二人の間の対等な「私-あなた」の関係ではなく、一方が他方を利用する「私-それ」の関係、この関係は特に戦争中にありのまま表れる。中国系米国作家・ハ・ジンの小説「戦争ゴミ」は、韓国戦を背景に人間が「それ」になる状況を繰り広げる。

ストーリーは、韓国戦に投入されて捕虜になった2万人の中国軍にスポットライトを当てている。彼らは、巨済島(コジェド)と済州島(チェジュド)で収容所生活をして、最終的には約3分の1が中国に戻り、残りは台湾に行った。台湾に行こうとする反共捕虜と本土に戻ろうとする親共産党捕虜たちが殺し合いの戦いを重ねた結果だった。彼らの間に行われた暴力は、言語で描写できないほど殺伐していておぞましかった。収容所は国連管轄だったが無駄だった。

作家の主な関心は、反共捕虜たちから受けなければならなかったあらゆる脅迫と懐柔にもかかわらず、中国本土に戻ることを選んだ捕虜の運命にある。中国はようやく帰ってきた彼らを歓迎しなかった。国の目には、死を選ばずに捕虜になった彼らはすべてが反逆者だった。数百人がスパイ容疑で刑務所に閉じ込められ、ほぼすべての捕虜が不名誉除隊をさせられた。多くの人が農場で労働をしいられながら生きた。家族にも烙印が押された。戦争捕虜たちが復権されたのは1980年、27年が過ぎてからだった。恥辱の歳月だった。

不快感を感じさせる痛みを伴う小説である。作家はあえてなぜ、こんなに暗い小説を書いたのか。戦争中は「戦争ゴミ」だったし、戦争が終わってからは「社会のゴミ」だった一人一人の傷と悔しさを、このようにしてでも慰めたかったからだ。ストーリーテリングが持つ癒しの機能に頼ったのだ。ところが、これは果たして、中国だけのことだろうか。私たちは、このような国家暴力から自由だったのだろうか。小説が韓国読者に提起する暗黙的質問は、まさにこれである。韓国はどうだったのか。

文学評論家・全北(チョンブク)大学教授


キム・ソンギョン記者 tjdrud0306@donga.com