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疎外された現代の家長に捧げる「悲しい歌」

疎外された現代の家長に捧げる「悲しい歌」

Posted July. 05, 2014 03:21,   

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祖父母から3男3女でにぎやかな大家族、空腹を葛食で満たす子どもたち、鼻をつまんで差し出す採便袋、雨が降る夜に染み込む煉炭ガス、大学生1人のために犠牲になる兄弟姉妹・・・。小説家成碩済(ソン・ソクチェ)氏が2年ぶりに出した新しい長編には、日本の植民地支配期から2000年代まで、主人公キム・マンス一家の3代の世相が細かく描かれている。マンスの家族や仲間、友人が相次いで話者となり、マンスをめぐる状況を自分の立場で物語る。

マンスの祖父は、日本の植民地支配期に思想問題で苦難に遭い、世の中に背を向けた。マンスの父親は、自分の父親を恨んで農民になり、家族を養う。火田民だった母親と妹は、家族の面倒を見る。明晰な兄はソウルの名門大学に進学し、家族の期待を一身に受けるが、ベトナム戦争で枯れ葉剤を受けて亡くなる。利口だが強引な弟のソクスは、マンスを無視して困らせる。

家族が上京して郊外の一部屋で暮らすことになったが、無気力になった父親は酒浸り、マンスが家長の役割を担う。専門学校に通って時々金を稼ぎ、交通警察を補助する戦闘警察に服務し、わずかな賄賂を得て、後に工場管理職に就職もする。キム・マンスは馬鹿正直な誠実さで家族と会社のために犠牲になるが、彼に向けられるのは非難と疎外だけだ。

存在するが目に見えない人のことを「透明人間」と呼ぶ。キム・マンスは圧縮成長時代を愚かにも全力を尽くして生きたが、結局は社会の端に押し出された透明人間だ。この小説は、世知辛い世の中を精一杯駆け抜けたが、疎外された現代の家長を称える悲しい歌だ。