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脱北12人中9人が強制送還、ショルティィ氏が「悔しい」心境激白

脱北12人中9人が強制送還、ショルティィ氏が「悔しい」心境激白

Posted May. 31, 2013 03:30,   

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「茫然自失という言葉しかない」

北朝鮮自由連合のスーザン・ショルティ代表(54)は29日、東亜(トンア)日報の記者に、「コッチェビ」と呼ばれる浮浪児・孤児の脱北者9人の北朝鮮への強制送還に対してこのように心境を明らかにした。ワシントンに本部を置く北朝鮮人権団体北朝鮮自由連合を率いるショルティ代表は、宣教師のチュ氏とともに今回の脱北計画に関与してきた。ショルティ代表は、「約2年かけた脱北計画がこのように虚しく終わるとは思わなかった。何の罪もない子どもたちをなぜ送還するのか」と怒りが収まらない様子だった。本紙は強制送還された脱北者9人の名簿を入手したが、彼らの安全のため公開しないことを決めた。以下はインタビューの内容。

——9人が強制送還されたことをいつ知ったのか。

「彼らがラオス移民局に抑留された後、宣教師のチュ氏と国際電話で連絡を取り合い、事態の進展状況をチェックした。チュ氏は先週金曜日(24日)の時点では『韓国に行けるだろう』と楽観していた。しかし、月曜日(27日)朝、突然チュ氏から9人が追放されたと聞いた。韓国時間で27日の夜だ。先週末に事態が急変したことは明らかだ」

——脱北者9人はどんな子どもたちなのか。

「北朝鮮に送還された9人を含め12人の脱北者がグループを作って宣教師のチュ氏の援助で中国で4、5年間暮らしてきた。彼らが今年初めに脱北したというのは事実ではない。中国公安の取り締まりを避けて隠れて暮らすことが難しくなり、状況が悪くなったので脱出を決意した」

——脱出グループはどのように分けられたのか。

「本人の意志によって韓国行きと米国行きのグループに分かれた。米国行きのグループは12、13才の最年少の2人と学習障害がある16才の3人だ。幼い子どもたちと知的障害がある脱北者は米国に行くほうがいいというチュ氏の意見も参考になった」

——脱出計画はいつ始まったのか。

「約1年8ヵ月前の2011年9月に米国行きの計画に着手した。作戦名は『飛翔する鷲作戦(Operation Rising Eagle)』だった。私は脱北者が直接書いた手紙をオバマ大統領に送った。返事はなかったが、米国務省と緊密に協力して米国行きの計画を進めた。韓国当局も支援した。2012年8月、3人を比較的協力的なタイに連れて行くことに成功した。残りの9人の安全のため、彼らの米国入りについては公表しなかった」

——すぐに韓国行きの計画がなされたのか。

「米国行きが成功したので、すぐに韓国行きの計画に着手した。米国行きのルートどおりタイを経て韓国に行く計画だった。ところが経由するラオスで予期しなかった検問にひっかかった」

——脱北者を移送させる時、ラオスを経由したのは今回が初めてなのか。

「違う。過去に何度もラオスを経由した。ラオスは最近まで脱北者問題に協力的だったが、北朝鮮がこの間、ラオスを味方に引き込もうと手を回していた」

——昨年の中国による脱北者強制送還の時、聴聞会の開催を主導し、駐米中国大使館の前でデモをするなど努力してきたが…。

「今回も韓国と米国を含め世界各国はラオスに抗議しなければならない。脱北者が北朝鮮に送還されれば拷問を受け、最悪の場合は死刑になる可能性もある。これに目をつぶって送還したラオスの処置を見過ごしてはならない」

——金正恩体制後、脱北が減ったといわれるが…。

「脱北防止監視体制が強化された。空腹を我慢できずに脱北した子どもまで追跡して送還させることは、金正恩(キム・ジョンウン)独裁がどれほど悪辣かを示している。一方、それだけ金正恩体制が虚弱だということを物語っている」