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ビラヴドの幽霊

Posted August. 14, 2019 08:42,   

Updated August. 14, 2019 08:42

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苦しい歴史は記憶して哀悼してこそ癒される。先週亡くなった米国人作家トニー・モリソンは、そう考えていた。特に彼女は、「誰も名前を知らず、誰からも考えてもらえず、伝説にも出ておらず、彼らに関する歌も、ダンスも、物語もない」黒人を記憶し哀悼しようとした。彼女の生前に古典となった「ビラヴド」は生々しい例だ。

ストーリーの中心には、恐ろしい殺人事件がある。とある母親が二歳の娘を殺した。白人奴隷主が彼らを連れていこうとした時に起きた出来事だ。母は子が牛や馬のように売られ、性的搾取をはじめとするあらゆる搾取を受けながら暮らすことを望まなかった。白人の主人を避けて、納屋に逃げて抵抗する途中、錯乱状態で娘を殺したのはそのためだった。死んだ子供がビラヴドだった。彼女は他の三人の子供まで殺そうとしたが、成功しなかった。

作家はこの恐ろしい猟奇的ストーリーを黒人の傷や苦しみ、人種的不義に関する記憶と哀悼のストーリーに変えておく。ビラヴドは死んだが、幽霊になって母の家で生きていく。幻想と現実が共存するマジックリアリズム小説で可能な物語ではあるが、母が死を認めていないのに、どうして娘が死ぬことができるだろうか。体がなければ、体に取って代わるゴーストでもあるべきではないか。これが母親の心理的現実、すなわちトラウマだ。そのように生きて18年になる。

ところが、傷に関連して、言語の持つ癒しの機能が働いたためか、彼女はいつからか、自分の傷を他の人に語りながら娘が死んだ事実を少しずつ認め始める。それとともに18年ぶりに初めて、本当に初めて泣く。ついに泣けるようになったのだ。泣くということは、ビラヴドの死を悲しみ、哀悼し始めたという意味だ。娘の幽霊が離れるのは、まさにこの時だ。

これがモリソンが提示した癒しの解決策だ。個人のものであれ国のものであれ、傷は放置せず、何とか記憶の空間に移し、語り、悲しみながら哀悼してこそ癒されるものだ。