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金日成主席25周忌

Posted July. 08, 2019 08:50,   

Updated July. 08, 2019 08:50

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「金日成(キム・イルソン)首領同志の心臓の鼓動が止まった」。1994年7月9日午後12時。北朝鮮の重大発表はこのように始まった。金日成主席の死亡時刻は前日の午前2時頃だった。しかし、首領の「永生不死」を信じた北朝鮮住民はこの報道を信じることができなかった。当時、北朝鮮に暮らしていたある脱北者は、息子が金主席の死の知らせを伝えると、「話にもならないことを言うな」と息子を殴ったという。

◆金主席は、当時金泳三(キム・ヨンサム)大統領との初の南北首脳会談を準備していたが、心筋梗塞に心臓ショックが重なり、死亡したというのが公式の発表だ。金主席は金泳三氏の平壌(ピョンヤン)訪問後、自身がソウルを答礼訪問する場合に備えて、「白頭山(ペクトゥサン)の金日成が来ました」で始まる演説の原稿まで書いていた。この自筆の演説原稿は錦繍山(クムスサン)記念宮殿に展示された。

◆しかし、金日成、金正日(キム・ジョンイル)親子間の権力闘争がもたらした死という見方もある。金正恩総書記が権力強化のために父親が主導する南北首脳会談に反対し、衝撃を受けた金主席が急死したということだ。北朝鮮が世界の人々の尊敬を受けると誇ってきた金主席の葬儀に外国の弔問使節を受けないといったのも、このような疑惑を煽った。

◆金主席死去後、北朝鮮では「苦難の行軍」が始まった。飢え死にする住民が200~300万人と推定される。梅雨などによる100年ぶりの自然災害が原因とされるが、金氏王朝体制の限界と見る見方が多い。そのため、今でも北朝鮮では、「金主席の時はそれなりに食べて暮らせた」という声が出ているという。

◆孫の金正恩(ム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が、容貌と言動で金主席をまねるのも、そのような理由だろう。昨年8月、正恩氏が人民服の上着を脱いで、半袖シャツ姿で現地を視察する姿が報道された。北朝鮮の記録映画には金主席も半袖シャツ姿で現地を指導するシーンがしばしば登場する。正恩氏は大きく拍手したり、横髪を短くするなど金主席を想起させる。ソ連の威勢を得て権力を掌握し、南北分断と韓国戦争を起こした戦争犯罪責任者だが、生前に偶像化に力を入れた結果、今も北朝鮮では金主席の「七光り」が通用する。

◆正恩氏が執権後、金主席逝去中央追悼大会に参加したのは、2014年の20周忌の時だけだ。記念日の5年ごとの節目に当たる年に盛大に祝ってきたことから、今回の25周忌には正恩氏が参加する可能性が高い。ハノイでの米朝首脳会談の決裂で体裁を失った正恩氏が、再び米国と談判に出るためには、祖父のオーラが必要だろう。


チョン・ヨンウク記者 jyw11@donga.com