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水原の金香花、統営のチョン・マクレとイ・ソソン…晋州の「愛国妓生」は誰?

水原の金香花、統営のチョン・マクレとイ・ソソン…晋州の「愛国妓生」は誰?

Posted May. 04, 2019 08:46,   

Updated May. 04, 2019 08:46

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「妓生(芸妓)たちは、花柳界の女というより独立闘士だった」

1919年9月に赴任した日本帝国の治安責任者である千葉了は、「朝鮮独立運動の秘話」という本の中で、朝鮮の青年たちの胸に独立思想を呼び起こす妓生がいる限り、朝鮮の治安維持は難しいだろうと懸念した。

実際3・1独立運動当時、「愛国妓生」が全国各地で大活躍した。特に京畿水原(キョンギ・スウォン)、慶尚南道統営(キョンサンナムド・トンヨン)、晋州(チンジュ)が代表的な所だった。水原では金香花(キム・ヒャンファ)が、統営ではチョン・マクレとイ・ソソンが主導した。一部の記録には、金香花と韓錦花(ハン・グムファ)が晋州妓生独立団のデモを主導したと紹介されているが、正確な記録ではないという評価が多い。晋州妓生独立団と乞食独立団の万歳運動の再現行事を主催してきた社団法人「晋州文化愛の会」のカン・ドンウク常任理事は、「金香花は水原妓生であり、韓錦花も晋州妓生ではない」とし「晋州の妓生独立団が活躍したのは明らかだが、残念ながら誰がリードしたかは知ることができない」と語った。

水原の金香花と統営のチョン・マクレ、イ・ソソンは、3・1運動で収監された事実が書類で確認され、大統領表彰を受けた。万歳デモの途中に逮捕された晋州妓生6人が懲役刑を受けた記録は、現在残っていない。チュ・ギョンファ晋州文化院郷土研究室長は、「光復(日本植民地からの独立)直後の暴動と韓国戦争時の火災で、晋州裁判所と晋州市役所の戸籍と裁判記録がすべて消えた」とし、「大邱(テグ)覆審裁判所(当時は2審裁判所)の資料は80〜90%が残っているが、晋州裁判所で終わった事件の資料はそのほとんどが消失した」と伝えた。

3・1運動より前に活動した晋州出身の抗日妓生としては、山紅(サンホン)が有名である。黃玹(ファン・ヒョン) が作った「梅泉野錄」によると、乙巳五賊(旧韓末乙巳条約締結に加担した5人の売国奴)の一人である李址鎔(イ・ジヨン)が1906年、晋州で山紅を見て心を奪われ、大金を出して妾になってもらいたいと求めた。これに対して山紅は、「世間の人々は大監のことを五賊の頭という。たとえ下品な妓生とはいえ、逆賊の妾にはなれない」ときっぱり断る。李址鎔はその後も何度も大金を示したり、脅迫して自分の妾になることを繰り返して要求し、これに耐えられなかった山洪が自決したと、儒学者の梁會甲(ヤン・フェガプ)は詩文集・正齋集を通じて伝えた。

2016年に山紅の政府褒賞を申請したチュ・ギョンファ室長は、「山洪は親日人物と闘争した末に自殺したので、勲章や褒賞を受ける資格が十分ある」とし、「現政権が独立有功者を拡大するとしたので、市民の署名を集めて再審を請求する計画だ」と語った。論介(ノンゲ)の功徳を称える晋州城内祠堂・義妓祠(ウイギサ)には、山洪が作った詩(「義妓祠ガムウム)がかけられている。


成東基 esprit@donga.com