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親衛隊の落とし穴

Posted January. 07, 2020 07:53,   

Updated January. 07, 2020 07:53

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先日、亀尾(クミ)にある一利川(イリチョン)の戦いの現場に行ってきた。一利川の戦いは、高麗と後百済が行った最後の決戦である。亀尾堰付近で洛東江(ナクドンガン)がY字型に分かれ、周辺に結構広くて平らな野原が広がっている。正確な戦いの現場は明らかにされなかったが、おおむねこの周辺の野原のどこかだと推定している。後三国時代は非常に興味深い。弓裔(クンイェ)、甄萱(キョンホン)、王健(ワンゴン)など個性のある指導者と庾黔弼(ユ・グムピル)のような名将が登場する。戦術的にも非常に興味深い激戦が複数回繰り広げられ、公山城(コンサンソン)、曹物城(チョムルソン)の戦いのような劇的な戦闘も多い。

それにもかかわらず、後三国時代はミステリーだらけだ。激動期なのでどうしても記録が不足していたようだ。表紙は興味津々なのに、いざ本を開くと、内容があまりにも不足している。その多くの謎の一つが甄萱の失敗だ。甄萱は後三国時代の最高の戦争の英雄であり、彼の鉄騎軍は最強だった。新羅を巡って行った高麗との激しい競争でも、甄萱が勝利する。しかし、不思議なことに、甄萱は占領した新羅を治めることができなかった。一歩遅れて攻めてきた王健までを木っ端みじんに敗北させたにもかかわらず、新羅の相当地域が王健に投降した。

甄萱は強くて忠実な鉄騎軍団を従えた。親衛勢力が頑丈であることを意味する。それにもかかわらず、息子たちのクーデターで王位を奪われた。正確な事情はわかりにくいが、推定してみれば、戦争では勝利しても政治では敗北し、征服には先立っていても統治では後れを取る事例が歴史にはしばしばある。このような不幸が起きる理由の一つは、親衛勢力への依存症である。戦闘で忠実な親衛軍団は、勝利の源であり、すべてでもある。しかし、統治はすべてを抱擁しなければならない。戦場では、勝者と敗者、明確な敵と味方が存在する。しかし、社会はその境界線があいまいである。世界の人が知っている明白なことなのに、これを実践するのは容易ではない。親衛勢力に囲まれれば、戦場と違って、宮廷では親衛勢力を制御することさえ容易ではない。400年後の李成桂(イ・ソンゲ)も、息子と親衛勢力によって王位を失った。王と首長の違いを体得できなかったからだ。

歴史学者