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小豆あんの人生

Posted June. 10, 2019 08:18,   

Updated June. 10, 2019 08:18

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「私たちはこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、私たちには、生きる意味があるのよ。」(若瀬直美監督の『あん』)

小豆あんの入った日本のお菓子「どら焼き」を売っている店長の千太郎。ある日、彼の前に現れた「アルバイト老女」。50年間、粒あんだけを作り続けた徳江だ。業務用のあずき缶で作っていた千太郎のどら焼きは平凡であまり人気がなかった。徳江が置いていった粒あんを食べてみて旨さに驚き、感心した千太郎は徳江にアン作りを教わることに。千太郎のどら焼きは評判となって「行列の店」になる。甘党でもないのにどら焼きを黙々と作っていた千太郎は徳江に味わうことの喜びを気付かされる。そして千太郎は、ものを作る喜びを覚えていく。

私たちの人生も同じではないか。最初の千太郎のどら焼き屋のように毎日、意味もなく同じことを繰り返す人生が多い。専門とは関係のない仕事、機械のように同じ作業を繰り返しながら興味を失い、忙しい日々の作業量に振り回され酒とストレスだけが増えていく。いつの間にか美味しくないどら焼きを作り続けているのだ。

映画の反転は、実は老女がハンセン病を患っていたところにある。もちろん、あん作りの過程には問題なかったのだが、ハンセン病センターに向かう事になる。千太郎は彼女の行方を追い、再会する。老婆は千太郎に言う。「好きなことをやりながら生きようよ。私たちは自由な存在なんだから」。

人生のあるとき、私たちは不幸や挫折、苦しみの時間を経験する。ある意味それは人生のターニングポイントなのかもしれない。人生に甘い粒あんを取り入れる心の準備をしよう。いずれ、これが過ぎ去ってしまうと、小豆を蒸す香りが美味しそうに感じられる時がくるだろうから。