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放置されたユジン商店街の河川道に芸術が流れる

放置されたユジン商店街の河川道に芸術が流れる

Posted July. 02, 2020 07:47,   

Updated July. 02, 2020 07:47

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漢江(ハンガン)の最も長い支流である弘濟(ホンジェ)川と内部循環路が合流する所に、昔の字体で「ユジンマンション」と書かれた古い5階建ての建物がある。今は「ユジン商店街」と呼ばれる。古ぼけた外壁のため、一見すると、撤去を控えたコンクリート構造物に見える。しかし、1970年までは国内初の住商複合マンションだった。当時は、北朝鮮の南侵に備える「最後のバリケード」の役割も果たした。旧把撥(クパバル)を超えて、大統領府とソウル市街地に浸透する北朝鮮軍を防ぐために、「対戦車防護基地」として活用されたのだ。1991年に建物を横切る高架道路が建設されたことで、住民の一部が離れる痛みも味わっている。

ユジン商店街が再び市民のもとに戻ってきた。ソウル市は、ユジン商店街の下の川の道250メートルの区間を「公共美術館」にして、1日、初めて公開した。道の名前は「弘濟流緣」。水と人の縁が流れて、芸術で癒し、和合するという意味を込めた。

弘濟川の遊歩道を歩く市民に、芸術的体験を提供するための「ソウル市の公共美術プロジェクト」の一つだ。パク・ジェウン・ソウル市文化本部主務官は、「韓国の現代史を見つめてきたユジン商店街を保存して記憶するとともに、雨水の通路のみに使われた下部空間を芸術空間として市民に返すという趣旨だ」と説明した。

ユジン商店街を通る弘濟川の遊歩道が復元されたのも、割合最近のことだ。昨年3月、西大門区(ソデムング)が遊歩道断絶区間だったユジン商店街下部の約500メートル区間を復元した。ソウル市が公募で、ここを公共美術プロジェクト「ソウルは美術館」の対象地域に決めた。ソウル市の関係者は、「韓国近現代の多くの開発と変化の歴史を抱いた空間という評価を高く買った」と話した。

昨年6月に造成事業を始め、6ヶ月ぶりに作品の設置を完了したが、新型コロナウイルス感染症の拡散により開場が数ヶ月延期された。兪連植(ユ・ヨンシク)ソウル市文化本部長は、「『弘済流緣』は、閉ざされた室内空間ではなく、開かれた空間で芸術作品を鑑賞できるので、ポストコロナ時代に注目される芸術分野の一つだ」と語った。西大門区は近いうちに、内部循環路と弘済流緣とを繋ぐ通路を作って、市民が気軽に歩くことができるようにする予定だ。

弘済流緣を飾った作品は、光、音、色など、いわゆる「非物質」で構成されている。作品のほとんどが空間を占める「固体」ではなく、河川道の原型を最大限維持できるようになった。100以上のコンクリート柱の間を流れる水路に沿って、インスタレーション、照明アート、メディアアート、サウンドアートなど8つの作品が展示される。専業作家の作品の他にも、市民1000人が直接参加した「メッセージ映像壁画」も展示される。ソウル市の関係者は、「物静かで穏やかな雰囲気の空山を埋める芸術作品を選ぶのに、非常に時間がかかった」と伝えた。

ユジン商店街の下の川の道「弘済流緣」は、同日午後2時の点灯を皮切りに、毎日午前10時から12時間市民に開放される。


李知訓 easyhoon@donga.com