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絶対兵器に対する幻想

Posted April. 26, 2022 09:12,   

Updated April. 26, 2022 09:12

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1915年4月22日に始まったイーペルの戦いで、ドイツ軍が英国とフランス軍に対して毒ガスを使用した。毒ガスの使用はすでに国際条約で禁止されていたが、戦争が激化するにつれ、ドイツ軍は誘惑に勝つことができなかった。憤った連合軍も毒ガスの使用禁止を解いた。これにより第一次世界大戦は類例のない化学兵器の実験場となった。

ドイツ軍が禁断の兵器の誘惑に勝てなかった理由は、どんな手段を使ってでも戦争を早く終わらせることができるなら、それがすべての国と人にとって有益だという論理だった。これは、別段創意的な論理ではない。機関銃から核兵器まで恐るべき殺人兵器が登場する度に常に掲げられた大義名分だった。

では毒ガスはゲームチェンジャーになったのだろうか。否。初めて毒ガスを噴射した時、ドイツ軍は数千人の連合軍を一気に殺傷して敗退させる成果を収めた。しかし、このような殺傷劇にもかかわらず、ドイツ軍が進撃した距離は10キロにも及ばなかった。

連合軍は即座に解決策を見出し、防毒マスクを製造した。初期の防毒マスクは今の基準で見れば粗悪だったが、意外にも効果的だった。毒ガスも初歩的な水準だったためだ。毒ガスは、双方の兵士をひどく苦しめた。多くの兵士に障害と後遺症を残した。それだけだった。戦争が残酷になっただけで、戦争の勝敗とは関係がなかった。

少しだけ考えてみれば、毒ガスがゲームチェンジャーになれない理由は簡単にわかる。まず、当時のドイツと連合軍の科学技術、産業力に大きな差はなかった。一方の製品がより優れていることはあるが、一方的な優位ではない。鍵と鍵穴のように、攻撃用兵器を作る技術があるなら、防毒マスクのような防御用装備も作ることができる。飛行機が兵器として使われ始めた時、空で地上軍を見下ろして攻撃することができるということに幻想を抱いた人々もいる。ゼウスの稲妻のような絶対兵器が登場したということだ。だが、違った。対空砲火と対空ミサイルがその夢を挫いた。さらに致命的な対抗馬は敵の航空機だった。

なぜ人間は絶対兵器に対する幻覚を捨てることができないのだろうか。経営で、政治で、人生でもそうだ。これだけで万事OKという一発の誘惑に執着すれば、得るのはカウンターパンチだけだ。

歴史学者