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新春の祈り

Posted April. 09, 2022 08:50,   

Updated April. 09, 2022 08:50

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この作品は「春」に「祈り」を足した作品だ。祈りが登場するからといって、必ずしもキリスト教を思い浮かべる必要はない。祈りは皆のものであり、万古のものだ。仏教徒だった詩人の韓龍雲(ハン・ヨンウン)も、よく祈ったりした。1926年に韓龍雲の詩「貴方の沈黙」について、朱耀翰(チュ・ヨハン)は、「愛の祈り、祈りの愛」と評価している。韓龍雲は宗教家だから、自分が最もよく知っている方法、すなわち祈りを詩的に行ったのだ。

驚くべきことに、祈りは文学になる。それも最も古い形式の一つだ。「文心雕龍」のような本を見ると、「祝盟」といって、神への祈りと人間への誓いを合わせて祈りの文学で説明する。切に望み、心に刻み、未来に誓うことが「祈り」だ。それは人の現在と未来をつなぐ。人の不可能性を可能性とつなぐ希望のようなものが、祈りに込められている。だから、我々は祈りを捧げざるを得ない。祈りが要らないほど完璧な人生を、私は人生でも小説でも見たことがない。

今日は、この春にふさわしい祈りを一本探してきた。骨の中まで満たされていた氷と闇はすべて去り、生気と緑だけが溢れることを願う詩だ。読んでいると、体がむずむずとほぐれて目が明るくなる。もう春が来たから、私たちも春でなければならない。切に願うとからといって叶うだろうかと思うが、祈りすらなければどうしようもない。古代から受け継がれてきた祈りの力能に頼るだけだ。