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鳥の道

Posted November. 13, 2021 08:17,   

Updated November. 13, 2021 08:17

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鳥は我々を羨ましがらない。しかし、私たちはたびたび鳥をうらやむ。うらやましいという感情は自分にないこと、しかし自分が望むことを他人が持っている時に生まれる。金もなく車もない鳥がうらやましい理由があるだろうか。ある。鳥には私たちにないものがある。翼があり、飛翔があり、空があり、自由がある。鳥は自らを自由だと思わないかもしれない。しかし、私たちは鳥が羨ましい。正確に言えば、鳥がうらやましいというより、ばたばた飛び立つ自由がうらやましい。うらやましいことを見ると、自由とは貴い徳目に違いない。

私たちはいつも道を歩いていく。人に許された歩道が別にあり、歩行者通路が別にあり、右側歩行という法則も別にある。公教育を経て会社員になり、子どもを生んで暮らすことも道に従うことだ。見えない道、見える道が重なって繰り返し、人の人生を作る。しかし、この道が時には息が詰まるほど息苦しい時がある。人々から、こちらの方がいい、ここに行かなければならないと言われる道を歩くのが疑問に思える。

この詩人にも、そういう時があったようだ。地上に足を縛られた詩人は、頭を上げて空を眺める。彼にできることとは、指を上げて鳥の跡を指すことぐらいだ。逆に鳥は迷わず飛び立つ。道がないのに意に介さない。実際、鳥は一種の象徴であり、きっかけに過ぎない。私たちは鳥ではなく、自由に飛翔したい自分自身を見ているのだ。

文学評論家