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塀にほうきをもたれながら

Posted January. 02, 2021 08:06,   

Updated January. 02, 2021 08:06

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古い年が過ぎ去るのも知らずに過ぎ去った。新年が来るのも知らずに来たということでもある。人間同士で決めた約束にすぎないとしても、約束の意味が薄れたとしても、カレンダーの1月1日は重要な日だ。ところで今年の1月1日はちょっとぎこちなかった。新年のあいさつをしたり、嬉しく受けることも難しい。今年は少しよくなるかな。このような心配よりは、新しい決心、抱負のようなものがふさわしいのが、元々新年ではないか。慣れ親しんでいた意味が揺れれば、人は戸惑って不安になる。

風邪をひきそうな時に生姜茶を飲むように、足元が揺れる時は硬い詩を読むと良い。体に寒気がする時、あらかじめ下着を探して着るように、心が不安な時は暖かい詩を巻けば良い。「新年」という言葉は一度も出てこないが、新年に読みたい善良な詩、健康な詩。シン・ヒョンジョン詩人の「塀にほうきをもたせながら」だ。

詩人は、マンションに住んでいたが、庭のある住宅に引っ越したようだ。朝からほうきを持って庭を掃いている。単純なことだが、掃除は手ごわい。それが終われば、気分も床も爽やかな状態になる。ところが、実はこの詩を選んだ理由は、庭や掃除だけではない。それよりも、詩で繰り返される言葉、「久しぶりだね」が今私たちにとって切実だからだ。懐かしい人に会って抱擁しながら背中を叩きたい。私たちって、本当に久しぶりだね。その人のほほ笑む口元を見ながら、つられて笑いたい。何年ぶりだろう。にぎやかな路上で肩を触れ合って歩きたい。その自由はいったいどれくらいかかるだろうか。

文学評論家