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「合唱」に対するオマージュ

Posted December. 31, 2020 07:38,   

Updated December. 31, 2020 07:38

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1902年、オーストリア・ウィーンの「セセッション」では、ベートーベン死去75周年を記念する特別展が開かれた。進歩的芸術のために結成された「ウィーン分離派」の14回目のグループ展でもあった。グループのリーダーだったグスタフ・クリムトは、ベートーベンの最後の交響曲「合唱」を視覚化した壁画「ベートーベン・フリーズ」を披露した。計21人のウィーン美術家が参加したが、展示の主人公は意外とドイツの美術家だった。クリムトの壁画も、実はこの作家の作品を補完するためのものだった。生前はクリムトと同じくらい有名だったが、死後はドイツでしかほとんど知られていないマックス・クリンガーがまさにその主人公だ。

1857年、ライプツィヒで生まれたクリンガーは、パリ、ウィーン、ローマなどで活動し、画家や版画家として名を馳せた。故郷に帰った後、40歳からは実験的な彫刻に没頭した。クリンガーが展示に出した新作は、高さが3メートルを超える巨大なベートーベンの全身像だった。豊かな王座に裸でうずくまって座っているベートーベンは、英雄の姿ではなく軟弱な人間、いや幽霊のように見えた。ベートーベンの前に置かれた黒いワシやいすに刻まれた装飾は謎のようだった。彫刻に使われた色や材料も不慣れだった。単一色の青銅や大理石の彫刻ではなく、白、黄色、黒の大理石に象牙や青銅などの異質の材料を結合して作られた。

作品が公開されると、偉大な作曲家への賛辞としては不適切だという批判が殺到した。評論家らは「これは工芸品であって芸術ではない」と貶めた。少数の人だけが逆境を克服したか弱いベートーベンの本当の姿であり、英雄の典型だと賛辞を送った。実際、ベートーベンは深刻な聴覚障害を経験しながら、交響曲第9番を書いた。

ワシはローマ皇帝の象徴であり、愛を強調したヨハネ福音の著者、使徒ヨハネを象徴する。クリンガーは、ワシを通じて福音のように世界に広がった偉大な音楽を作った巨匠に対する尊敬心を表したかったのだ。多様な色と材料の結合は、人類愛と和合のメッセージを伝える「合唱」交響曲に対する真のオマージュだった。